TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第七章
そろそろ子どもの時期が終わり、思春期を迎えつつあります。
前回から1年間空きましたが、性懲りもなく続けます。
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CHAPTER 7
第七章
母さんは何年間も、より大きな家に住むため、公営住宅に申し込みをし、待機リストに名を連ねていた。
(訳注:イギリスでは、地元の議会を通じて、公営住宅の募集へ申請し、待機リストに載る手続きを取る。)
母さんは、地元の議員たちを手紙と電話攻撃で苦しめた。
父さんもまた然り、同じことをしていた。
母さんは、抗議として家賃の支払いを止め、そのお金は普通預金の口座へ貯金していた。
地方議会は、僕たちを立ち退き処分で脅かしてきた。
母さんは開き直って好戦的だった。
この攻防は、結局、地方議会が折れる形で終結し、僕たちに新しい家を提供してくれた。
議会が新しい住所を送ってくれたとき、母さんは僕たちに新しい家を見に行こうと言い出した。
新しい家は、オックスリーズ・ウッドから2~3マイル(:3~5キロ)離れた、シューターズ・ヒルのてっぺんにあった。
僕は、毎日どれだけ歩かなきゃいけないのかと、うめき声をあげた。
僕たちが正しい番地を見つけ、新しい家を前にして、その大きさに驚きのあまり立ち尽くしてしまった。
「まさか!」
僕が窓台へ登り、窓から伺える家の内部を、細かいところまで説明した。
それでも信じられなくて、まだ僕たちは、また何か間違いをしでかしたのではないかと考えていた。
ガラス張りのドアの玄関口の上には、「ザ・クレストTHE CREST」と刻まれた、 巨大な石のアーチがあった。
それは、ブラックヒースにあった、僕が何年も憧れていた家のようだった。
この家でも僕は、自分だけの部屋をもてなかったけれど、1974年の9月に引っ越してきて、僕たちはとても幸せだった。
新しい家には4つの寝室があった。
1つは父さんと母さんの、1つがリチャード、1つがシオバン、残る一部屋にデヴィッド、ジェラルド、ケヴィンと僕が押し込められて、まだまだ僕たち兄弟は窮屈だった。
まだまだ窮屈だった。
僕は洋服ダンスをパーテーション代わりにして、自分の場所を確保した。
それから、僕の場所だけオレンジと、チョコレート・ブラウンに色を塗り、銀色の電球が付いた、キノコ型のランプを置いて、デヴィッド・ボウイと、Tレックス、デヴィッド・キャシディの写真を、壁一面に貼り付けた。
弟のジェラルドが、僕に敵意を向けていることを、ひしひしと感じていた。
それを僕はからかった。
「お前はケチ臭いやつだな。来いよ。殴りたきゃ、殴ってみろよ。」
僕たち家族は、夕食の席でいつも何か話し合っていた。
僕は、会話には加わらず、自分の分の夕食をトレイに載せて二階へ上がり、一人で食べた。
ジェラルドは僕に言った。
「お高くとまりやがって。僕たちより自分が一番出来がいいと勘違いしてるんだ」
「ほっとけ、パキ」
(訳注:「パキ」はパキスタンからイギリスへの移民を指す。蔑称なので、悪口に使われている)
僕は考えた。
ひとつは、不安を感じてひるむこと。
もうひとつは、優位をとって、見下す事。
僕は、ジェラルドを見下す方を選んだ。
ちょうどその時、僕は服にアイロンをかけて、出掛ける仕度をしていたんだ。
ジェラルドは、壁からアイロンのコンセントを何度も抜いて、しつこくアイロン台をガタガタ揺らしたものだから、とうとう僕は堪忍袋の緒が切れてしまった。
それで、ペンキの入った缶を手に取るや、ジェラルドめがけて投げつけた。
ペンキの缶は、母さんの買ったばかりのアキスミンスター絨毯の上で、盛大に塗料をまき散らしながら、派手な音を立てて転がった。
(訳注:アキスミンスター絨毯とは、機械織りの高級じゅうたん)
僕は予想外の被害に、泣き叫んだ。
ペンキが乾いて取れなくなる前に、僕とジェラルドは家中を走り回ってタオルを掴むと、必死に拭き取り続けた。
掃除機で、塗料を吸い上げようともしてみた。
無情にも、掃除機は詰まってしまった。
さらに悪いことに、カーペットの上を歩き回ったものだから、塗料はあちこちに広がってしまった。
およそ20枚もの、真新しくて良いタオルを、僕たちはダメにしてしまった。
この大恐慌の真っ最中、僕は玄関のドアガラスの向こうに、父さんの影を目の端で捉えてしまった。
固まる僕の耳には、否応なしに父さんの咳をする、かすれた音が飛び込んでくる。
分かっている。
僕は父さんに殺されるんだ。
きっと、父さんは僕を殺すに違いない。
恐怖が頂点に達した時、僕は裸足のまま駆け出していた。
勝手口を抜け、フェンスを乗り越え、凍てつくような寒さの中、僕は走りに走った。
そのまま1マイル(約1.6キロ)ほど走り、ようよう見つけた電話ボックスに身を隠した。
2、3時間くらい経った頃、行き詰まった僕は、恐るおそるコレクトコールで家に電話をかけた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
電話に出た父さんは風邪声で、時折咳き込んでいた。
「すぐに帰りなさい。お前を悪いようにはしないから」
それなのに、母さんは無慈悲だった。
僕が投げた塗料は掃除されたけれど、あちこち変な風に色が残っている。
この変わった塗装は、ペンキ缶を投げるとどうなるかを教え、まだやらかす前に気付くきっかけとなり、僕たちはこの教訓を忘れることはなかった。
年上のケヴィンは、自分はもう大きいからと考えたのか、僕にあれこれ口出しできると思っていた。
僕が音楽を聴いている時、ケヴィンは僕の背後に忍び寄り、イヤホンを引き抜くなり耳元へ大声で「おい!」と叫んだ。
僕がテレビを見ながら、たまごとフライドポテトをつまんで楽しんでいた時も、ケヴィンは友達と一緒にどやどや部屋に入ってきて言った。
「なに食ってんだよ。もう晩飯前だろ?父さんと母さんが良いって言ったか?」
僕はケヴィンに、偉そうに威張るのをやめてくれ、と言った。
「誰も感心しないよ」とも。
ケヴィンは僕を小突いた。
僕は手にしていたフォークで彼を刺し、肘を回してケヴィンを締め上げた。
フォークはうまいこと急所を刺して、ケヴィンは床の上を悶え苦しんで転がった。
「ジョージが刺した、ジョージが刺した」
僕は二階へ駆けあがり、トイレに鍵をかけて閉じこもり、ケヴィンが階下へ降りるまで聞き耳を立てていた。
僕はいつも、タイミングが悪いときに大口を叩き、よせば良いのに誰かの会話へ口をはさんでは、トラブルを引き起こしていた。
父さんと母さんが、言い争っている時に、それをやってしまっていた。
僕の最大の欠点のひとつに、いつ口を閉ざすか分からない、というのがあった。
僕は空いた時間を、母さんと一緒に買い物をしたり、福祉事務所で過ごしたりした。
僕は目に付いた人々を、余すことなく批評した。
「ひどい格好。クズ女。不細工ビッチ」
母さんは僕を叱った。
「いい加減にお黙りよ。お前がよそ様に対して、ひとつでも褒めたことがありゃしないったら」
母さんは正しかった。
僕は、自分が異質だと分かっていた。
独りで戦っていて、世間の全方位を敵に回して、勝手に反抗していた。
父さんは、僕が口答えするのに良い顔をしなかった。
特に、僕の意見が正しかった時は。
父さんは自分だって出来もしない振る舞いを、僕たちがする様に求めていた。
僕たちがなぜ父さんの求める態度や、振る舞いが出来ないのか、弁解の余地も、原因も考えずに、「父さんが言っただろ」のたった一言で、出来るように強いられた。
僕は聴こえないような小声で「ブタ」と言った。
もし、父さんの耳に入っていたら、僕は容赦なくぶっ叩かれていただろう。
僕は叫びながら家を飛び出した。
「父さんなんか嫌いだ、父さんなんか大っ嫌いだ!」
僕は家に帰るのが怖くなってきた。
きっと第三者が見たら、父さんが八つ当たりするのに備えて、僕に黙っておくようにアドバイスすると思う。
僕は父さんをお茶に誘うことはそんなに多くなかったけれど、お茶を一緒に飲むのは、僕たちと父さんが話をするお決まりの方法だった。
父さんがいるだけで、そこは緊張した空気が流れていた。
父さんを怒らせるのは、何が引き金になるのか、誰も確信が持てなかった。
仕事でうまく行かなかったのか、或いは、まだ終わらせていない仕事があるのか。
ある日、僕はポルノ雑誌を建築現場のスキップで見つけた。
▼参考画像「スキップ」
大きな鉄の容れ物で、粗大ごみや廃材を入れておく。
父さんがそれを見つけて、わざわざみんなの前で、その雑誌を広げたんだ。
たぶん、僕に恥をかかせようとしたんだと思う。
僕は父さんを罵った。
「ほっとけよ。父さんの曲がった根性が大っ嫌い」
父さんは僕を二階まで追いかけて、トイレのドアを激しく叩き始めた。
「出てこい!」
ついに父さんは拳でドアをぶち抜き、乱暴にドアを引き開いた。
僕は父さんの横を、走って通り抜けようとした。
父さんは腕を大きく横に広げて、僕を捕まえた。
そのはずみで、僕はつまずいてしまい、そのまま階段を転がり落ちた。
勢いもそのままに、階段下に置いてあるラジエーターに、頭を強かに打ち付けてしまった。
僕は叫んだ。
「父さんがやった事を良く見てよ!」
僕は顔に、頭から血が溢れて、頬を伝うのを感じていた。
父さんはパニックに陥った。
「すまん、せがれ。すまなかった」
僕は裸足のままドアの外へ飛び出して、女友だちのルースの家へ駆けこんだ。
端から見れば、僕は車に轢かれたように見えたにちがいない。
ルースのお母さんは離婚していて、気前が良い人だった。
ルースのお母さんは、一連の出来事に憤慨してくれ、ここにいて良いよ、と言ってくれた。
結局、僕は四日間、ルースの家に隠れていた。
もう家には帰りたくなかった。
どうやったのか、母さんが僕がここに隠れていることを突き止めて、見つかってしまった。
僕は母さんに、二度と父さんが僕に手を上げない、と約束しない限りは、ぜったい家には帰らない、と訴えた。
その時の僕は、もう14歳で、赤ちゃんのような扱いを受けるには大きすぎたけれど。
父さんは電話で、ひたすら僕に謝っていた。
だから僕は、シューターズ・ヒルの我が家に、おっかなびっくりだけど帰ったんだ。
本当に父さんは、自分の言った言葉を守って、二度と僕に手を出すことは無かった。
大声で怒鳴り散らしたり、がなり立てるのは続いたけどね。
僕は、出来るだけ父さんの邪魔にならないように、家の外で過ごした。
友だちの家に入り浸ったり、大きな家を見ながらブラックヒースを歩き回ったり。
ウィンドウショッピングもしていたな。
自分だけの「買いたいものリスト」を想い描いて、家具屋の窓から展示品を見入ったりしていた。
僕はお金をたくさん稼いで、母さんが本当に欲しい家を買おうと考えていた。
何もかも完璧に、建築家のガラクタなんか一つも置かずに。
父さんは、長い間穏やかではいたけれど、だからと言って、仲良くしたり、気を許すのは難しかった。
父さんの愛情表現ときたら、頑固で偏屈で、しかもいつも気が狂ったように爆発したあとにしか見せなかったから。
父さんが何気なく、僕の身体に腕を回そうとしたとき、僕は怯えた犬のように縮みあがる始末だった。
だから、どんなに他意が無かったにしても、誰かが僕にふれるのを避けるようになっていた。
もし、友達と一緒に道路を歩いている時に、友達が僕に近寄り過ぎてしまったら、僕は動揺してしまい、いつも身を引いて離れていた。
「僕にさわらないで、さわっちゃダメだ」
僕は、努めてストレート(異性愛者)であるかのように振る舞っていた。
肉体関係にはならなかったけれど、僕には彼女がいた。
ローラ・マックラハランが、最初の公認の彼女だった。
金色の髪を小さく束ね、舌足らずで、隣の学校のエルタム・ヒルに通っていた。
ローラは僕を校門の外で待っていたくれた。
多くの『お盛んなクソ野郎ども』は、彼女に恋をした。
そいつらには、ローラが僕の中に何を見出したか、なんて理解できないだろうね。
僕とローラは手をつないで歩いた。
彼女はすごくかわいくて、僕をいじめた奴らよりも、僕は一歩先を行くような気分だった。
ローラは「チャーリーズ・エンジェル」の一人に似ていて、外にはねたフリンジのハンドバッグ ― バッグの口からは、金属の櫛が突き出ている ― を持っていた。
▼参考画像「チャーリーズ・エンジェル」取り敢えず70年代のもの。
僕は、4つボタンで、ハイウエストで、裾が広がったズボンを履き、アクリル繊維のグリーンで、タック・ネックのシャツを着て、裾はズボンの中に入れていた。
▼参考画像「タック・ネック」首周りにタックの入ったシャツ。
僕がいとこのティナのところへ、ベビーシッターをしに行くときは、ローラも連れて行った。
まさしく二人は完璧な付き合いで、見事なまでに、何も起こらなかった。
軽くキスをしたり、寄り添って抱きしめたり、お互いをさわったり、撫でたりしていた。
ローラは僕に負けないくらい受け身だった。
僕に必要だったのは、ブレンダ・リッチーのような、初めから終わりまでリードしてくれる女の子だった。
(訳注:ブレンダ・リッチーはジョージの初体験の相手)
その他に付き合った女の子は、シェリー・ユーゴで、同じエルタム・グリーンに通っていた。
シェリーは小さくて、丸顔で、縮れ毛の女の子だった。
そして、優雅な声をしていたせいで、目を付けられて虐められていた。
気取り屋、ホモ、パキというだけで、大罪を犯した罪人なんだ。
これでも僕は、自分からガールハントをしに行ったことは無いよ。
彼女たちから、僕のところに来るんだ。
微笑みひとつ、単なる噂が、学校のちょっとしたゴシップになる。
「シェリー・ユーゴはお前に惚れてる」
僕はシェリーを学校の近くで見かけたことがあった。
彼女はいつも、僕に微笑んでくれた。
この絶望的なまでに、恥ずかしがり屋の僕と彼女がどうやってくっつくかは、神のみぞ知ることとなる。
僕はいつも口先だけだった。
先生に生意気な口を叩くときと、遊び場でたむろしているときには。
だから、いざロマンチックな状況に直面すると、僕は自分が粉々になったように感じた。
シェリーはルイシャムに、母親と二人の姉妹と一緒に住んでいた。
シェリーの家は「モダン・オープン・プラン」の造りだった。
インテリアは革のカウチ、シープスキンのラグ、ペーパームーンのランプなど。
▼参考画像「モダン・オープン・プラン」近代的なデザインで、開放的な造り。
僕んちは、そんなお洒落な家じゃなかった。
確かにシェリーの家はきれいだと思うけれど、そこでリラックスできるかは別だ。
シェリーの母親、ユーゴ夫人は、僕たちが正面の部屋に座っているのが気に食わなかった。
そのフカフカのラグに踏み込んで、足跡を残そうものなら、シェリーはすぐさま振るって広げ、跡を消していた。
僕たちは、目障りにならないように寝室で過ごした。
寝室には、デヴィッド・エセックスの大きなポスターが貼ってあり、僕たちをじっと見下ろしていた。
▼参考画像「デヴィッド・エセックス」イギリスの歌手、俳優。
彼女はデヴィッド・エセックスの熱狂的なファンで、僕はルイシャム・オデオンで開催された彼のコンサートに引きずって連れていかれた。
シェリーと抱き合って、それ以上に発展することはあったけれど、結果的に今までとあまり変わらなかった。
僕はシェリーのブラジャーの中に指をすべり込ませると、自分が興奮しているのが分かった。
でも、シェリーは僕にブラを外すまでは望んでなかった。
これが、僕が女の子に欲情して勃起した、最初のことだ。
もっと、身体の関係を進めたいと願った、でも出来なかった。
僕の身体が付いてきてくれるか、それが怖かったんだ。
シェリーをギュッと強く抱きしめて、身体が自然に反応してくれないかと期待するばかりだった。
シェリーに生理が来なかったとき、僕たちは大笑いした。
シェリーの母親は、もしかして僕が彼女を妊娠させたと思っていた。
彼女を妊娠させたかもしれない候補者の一人になったことで、僕は誇らしい気持ちでいっぱいになった。
シェリーの親友の、トレイシー・カーターは、僕たちが9カ月も付き合っておきながら、お互いさわり合うだけで、それ以上の進展がないことに驚いていた。
トレイシーは、僕がオナニー小僧だと思っていて、いずれにせよこの件で確信につながったようだ。
トレイシーとシェリーの二人は、5歳の頃からの友達だったのに、シェリーが僕と付き合い始めてからは、仲違いをしてしまった。
トレイシーは強気で付き合いにくい人物だ。
スージー・クアトロのフェザーカットの髪型をして、腰のくびれた床までの長さのあるデニムのコートを羽織り、破れたスニーカーを履いていた。
▼参考画像「スージー・クアトロ」アメリカの女性ロックミュージシャン。
彼女は、スーザン・スレッジと、ティナ・パーメンターと共に、学校のトラブルメーカーの一人だった。
学校の中央広場の屋根に、使用済みのタンポンが散らばっていたら、彼女たちが真っ先に疑われた。
トレイシーは学校の制服に、インクでバンドの名前を落書きして、スカートには狙って「BUM」の文字を書いた。
(訳注:「BUM」は英字辞書にて、「ケツ、怠け者」などの意)
トレイシーはシェリーが「乙女」過ぎて、それはとてつもない罪だとして、彼女の優雅な声をからかいの的にした。
シェリーはいつも、往来にある店の看板を読みあげていた。
「ウールワースの…、リー・グリーン通り…」
トレイシーは残酷にも彼女の真似をしたり、シェリーを「ウィンピー」や「バーガー」と呼んでいた。
(訳注:「ウィンピー」は、ハンバーガーチェーン店の名前)
彼女はシェリーに悲しみを負わせ、人生を不幸なものにしてしまった。
トレイシーは僕に対しても、不愉快な態度を取った。
僕は「太ったケツ」と言われるのは好きではなかったけれど、彼女のタフな所が好きだった。
1975年の終わりに、デヴィッド・ボウイが「ステーション・トゥ・ステーション」ツアーを発表した頃に、物事はぎくしゃくし始めた。
僕たちは、6カ月後には、良い席が欲しかった。
トレイシーも来たがっていたし、どうやって彼女を我慢させるかも分からなかった。
僕は一時休戦を呼びかけ、彼女の分のチケットを買ってあげることにした。
トレイシーは僕にお金を払う、と言ったけれど、ついに払わずにいる。
その件があって、僕とトレイシーは親友になり、それと同時に彼女は、僕とシェリーの間の、恋のお邪魔虫にもなり、それはシェリーとって大いなる頭痛の種となった。
トレイシーが間に入って、どうにも行き詰まっていた恋愛関係から、僕は脱け出すことができた。
僕はシェリーが好きだったし、彼女は優しくて忠実な友達だ。
だけど、シェリーが僕に求めたものは、決して僕が彼女に与えられないものだった。
僕の頭の中で声がして、どんどん大きく響いていく。
「発射しろ、僕のムスコ。いびつな種をバラ撒くんだ」
分かってる、僕はゲイだ。
男の子の色鮮やかな夢を見ては、夢精したこともある。
トレイシーは身も心も完璧に女性で、気の合った仲間だった。
トレイシーは独立心があったし、タフで、僕に対して何の気も抱いていなかった。
彼女は、自分自身が醜いと思い込み、ピンク色やセンチメンタルなものを嫌悪していた。
放課後に、僕はトレイシーの家に行った。
そこは、黒パンとアールグレイを出す喫茶店だった。
パンは、僕が見慣れたスライスしたやつじゃなくて、焼きたてで丸のままで、バターも本物で、ストーク社のマーガリンなんかじゃなかった。
▼参考画像「ストーク社のマーガリン」バターではない。
僕たちはトーストを焼き、お茶を淹れ、レコードを聴いた。
心穏やかな空間だった。
僕は母さんに「ねえ、どうして僕の家では切ったパンじゃなくて、黒パンを出せないの?」と聞いた。
母さんはぴしゃり、と答えた。
「ナメた口叩くんじゃない。ここが気に食わないんなら、トレイシーの家にお行きな」
トレイシーは僕に、多大な影響を与えた。
ボブ・ディランと、政治について、僕を夢中にさせたんだ。
彼女は何度も繰り返してディランの歌「ハリケーン」を流し、殺人の罪で投獄された黒人のボクシング・チャンピオン、ルービン〝ハリケーン"カーターの話を聞かせてくれた。
▼ルービン・カーター。殺人の容疑で逮捕され、陪審員が全員白人だったことから、有罪判決が下り、終身刑に。ディラン氏の歌の他に、映画「ザ・ハリケーン」がある。
僕たちは、キャピタル・ラジオ・ヒットラインに電話を掛けて、ボブ・ディランを流すように投票した。
声色を変えて、また電話して、票を水増ししたり。
ボブ・ディランが常に1位にいる様に、僕たちは、さながら宗教のように聴き続けた。
ディランのアルバムは、トレイシーのお母さん、リタが持っていた。
リタは、夫であるトレイシーの父親と離婚協議中で、父親は家の中で知らない人のように住んでいた。
リタはヒッピーかつ変わった人物で、非協調主義者(訳注:社会や体制に従わない人)だった。
彼女は共産党に属し、ベトナムの解放へ向けて働いていた。
あるクリスマスには、僕とトレイシーはリタのお手伝いで、彼女の活動のために、封筒を舐めて、封入と封かん作業をしたんだ。
リタという人は、本当に謎だった。
リタは家でほとんど見かけなかったし、それは一緒に住んでいるはずのトレイシーも同じだった。
僕はトレイシーが家に一人でいるのが妬ましくて、僕が彼女だったらいいのに、と願った。
孤独な彼女が、どんな思いをしているのか、知りもしないで。
トレイシーは、自分の気持ちを、怒りの感情でもって隠していた。
僕は早々に、ロンドン南東部にある僕の家では物足りず、それ以外の生き方を見出し始めた。
僕の家とは違うパン、違うバターなど、生活そのものにおいて、僕は現状では満足できなかったんだ。
僕は旅に出て、あちこちを見て回り、見聞を広げたいと思った。
僕が電車に乗ったときは、窓の外で輝く、何百から何千もの家の灯りに見入っては、あの明かりに住む、何百万もの人たちについて、あれこれ考えを巡らせていた。
僕の知っている人が住んでいるのかな?
あの中に住んでいる人は、僕を知っているだろうか?
1976年の5月のこと。
僕はボウイに会うために、ビクトリア駅にいた。
ヒトラーを擁護する発言を行い、ファンの前でジーク・ハイル(訳注:ドイツ、ヒトラー時代に盛んに行われた敬礼)をやってのけ、ベルリンにひっそりと逃れた、デヴィッド・ボウイが戻って来る。
僕は防護柵から頭を突き出して、大声で叫んだ。
ボウイはベルリンに滞在しながら、ジギー・スターダストから、シン・ホワイト・デュークの間に染まっていたドラッグから脱していた。
彼は、オールバックに撫でつけた髪型、真っ白なシャツ、先細のズボンという出で立ちだった。
▼参考画像「シン・ホワイト・デューク」時代のデヴィッド・ボウイ。
僕はその格好を真似て、父さんの白いシャツを着て、髪にグリースをテカテカに塗り付けた。
その格好で、コンサートにも行ったんだ。
シェリーが着ていたのは、木こりが着るネルシャツの古着とジーンズで、なんとか妥協してリップグロスだけ塗っていた。
トレイシーの装いは、ギリシアの兵士のようで、その服はシェリーの母親の衣装ダンスの中から、くすねてきたものだった。
それなのに、トレイシーはその服にライビーナをこぼしてしまったんだ。
シェリーは気が狂ったように叫んだ。
「なんてこと!母さんに殺されるわ!」
▼参考画像「ライビーナ」黒スグリのジュース。
僕たちは頑張ってきれいにして、シェリーの母親に見つかる前に食器棚へ戻すことに成功した。
(訳注:衣装ダンスではなく、食器棚?
ライビーナを食器棚に戻したんだろうか?)
髪をきれいに染め、輝かしくボウイの格好を真似たクローンたちを前にして、僕はみすぼらしかった。
だから、全部の歌を、単語一つひとつまで出来るだけ大声で歌う事で、僕の格好のマイナス分を帳消しにしたんだ。
それからトレイシーと一緒に、曲の合間に叫んだり、口笛を吹いた。
多分、ボウイは見上げて僕たちを見てくれたと思う。
ある酷暑の夏、熱波が来た1976年の事だった。
トレイシーのお婆ちゃんが未亡人になったので、一緒に暮らすため、ウィンブルドンの草原の中に姿を消して、彼女とはそれっきり会えなくなった。
彼女のいなくなった人生は、なんと侘しかったことか。
僕はどうしてもトレイシーに、このエルタム・グリーン学校へ戻ってもらいたくて、手紙を書き続け、彼女を悩ませた。
しばらくの間、彼女は戻ってきたけれど、今度は僕が退学になった。
この豊作だった1年に、僕はトレイシーに会えなかったんだ。
僕たちが再会を果たしたのは、ブラックヒースのバスの中だった。
僕はパンクの格好をしていて、白く染めたツンツンの髪型に、ボンテージ・パンツを履いていた。
▼参考画像「ボンテージ・パンツ」
トレイシーは、今では売っていない60年代の格好をしていた。
キャット・アイライナー、白い口紅、ハチの巣の髪型、まるでダスティ・スプリングフィールドの古い洋服ダンスだ。
▼参考画像「ダスティ・スプリングフィールド」イギリスのミュージシャン。
トレイシーの格好は、こんな感じ。
彼女は今、友人宅の庭にある小屋に住んでいる、と語り、今はブライアンと呼んでいるルイーズ・ブルックスのボブカットをした格好良い男とデートしているところだった。
▼参考画像「ルイーズ・ブルックス」アメリカの女優。ボブカット(髪型)がトレードマーク。
二人は、独自のビートニクのグループに入っており、アコースティックギターと、マラカスを持ってヨーロッパ中をアンドリュー・シスターズの歌を路上演奏して回った。
その後、トレイシーとブライアンは、デプトフォードにある公営の台所付きの部屋へ引っ越した。
僕は、暇さえあれば彼らの元を訪れて、トレイシーの旅物語と、政治的な主義に耳を傾けていた。
彼女はマーガレット・サッチャーを猛烈な勢いで嫌っていて、それについては僕も納得している。
思えば、学生だった頃から、トレイシーは僕の人生に出たり入ったりしていたな。
彼女は、僕がいたスクワットのひとつを引き継いで住み、それから僕たちはまた、連絡を取らなくなった。
名誉、ドラッグ、アシッド・ハウス。
僕の身の上には、色んなものが駆けて行った。
(訳注:「アシッド・ハウス」とは、狭義にはアナログシンセサイザーの変調効果を多用したエレクトロニック・ミュージックを指す。広義では、1987年頃からシカゴやロンドンで同時多発的に始まった)
1990年に、僕は出掛けたレイヴで、トレイシーとばったり出会った。
(訳注:「レイヴ」は音楽のイベントやパーティの事)
彼女はへそ出しルックをしていて、ちゃんとした女の子に見えた。
最近では、トレイシーは自分自身を「ミス・カーター」と呼んでいて、相変わらず輝いている。
彼女はスペイン語と、ラテンアメリカの研究で学位を取得していた。
二人とも、劣等生の烙印を押した校長が間違っていることを証明したかのようだった。
第七章、ここまで。
こんにちは。第7章、首を長くしてお待ちしてました!
返信削除こんな長い文章を一気に読めて幸せです。
「初恋はシェリーという女の子だった」というジョージのコメントを
昔、雑誌で読んだことがあります。初恋かどうかはさておき、
このシェリーちゃんだったんですね。またひとつジョージのことを知ることが出来て
良かったです。
匿名さん
削除大変長らくお待たせをいたしまして、申し訳ございません。
匿名さんには、真っ先に「お帰りなさい」を言って頂いて、ねこあるきは感激しております。
ジョージ少年、モテモテです。自分からモーションかけに行くのではなく、向こうから来る、すごいですね。
女の子に対してもドキドキするのなら、寄ってくる女の子がブレンダ・リッチーみたいな肉食系が多かったら、もう少し性の悩みも軽かったかもしれません。
ねこあるきさん
返信削除ご無沙汰しております
長い間更新されていなかったので
体調崩されたのか
長期入院でもされているのか
心配していました
更新していただきありがとうございました
Yukiさん。
削除本当にご無沙汰をしてしまって、失礼いたしました。
また、ご心配まで頂いて、痛み入ります。
いっときは体調も良く無かったですが、それはいつものことなので、気力と言うものはつくづく大事だな、と思いました。
ボーイ・ジョージの自叙伝を和訳していて、本当に需要があるのだろうか?と思うこともありましたが、ご覧いただいていると知って、やはり続けようと存じます。
励みになります。本当に有難うございます。
再び、ねこあるきさんと
削除コメントのやりとりができて
嬉しく思います
自叙伝の和訳のほうに
今までコメントをしてこなかったのですが
自分でも驚くほど読み進めていたこと
ねこあるきさんの和訳と答え合わせをしても
ほぼほぼ間違っていなかったのだなと
私は天才かと(ウソです)
自己満足してしまっていました
日本の学校英語のシステムは
読解力をつけることに関しては
間違っていないのですね
リスニング、スピーキングは
まったくですが…
ねこあるきさんには何としても
ジョージとヘレンテリーが
何年も仲たがいの原因となる記述までは
和訳していただかないとなりません
楽しみにしています
Yukiさん。
削除そうなんですよ、Yukiさんは50ページは和訳した、と伺っていたので、50ページと言えば、ちょうどこの第七章が終わるまでですよね。
内心、ひたすらYukiさんをリスペクトしながら、ここまで来ました。
ということで、才女Yukiさんに、残りの40章とプロローグをお願いしようと思いましたが、先にYukiさんに「楽しみにしている」と仰られてしまいましたので、泣く泣く断念し、自分で和訳することにいたします。
(もし、お気が変わって続きをお願いできるようなら、その旨コメントください 笑)
調べ物をしたり、画像を探しながら和訳しておりますので、時間が掛かりますが、お付き合い下さると幸いです。
お恥ずかしい❗️
削除どうか才女は撤回して下さい
軽くねこあるきさんの
10倍以上の時間はかかりましたから…
単語さえ分かれば
私の中学レベルの英語でも
意訳はできてたんだと
申し上げたかっただけです
笑
とにかく
楽しみにしております❗️
ねこあるきさんの和訳、私、めっっっちゃ読みたいです!
返信削除続き楽しみで仕方がないです。直訳だと意味がわかりづらいところを
素敵に訳してくださっていて、いつも楽しみです。
私は特に、BBCのドラマで出ていたシーン、
ジョージがジョンのお家に車で突っ込むあたりが読みたいです。
(ずいぶん先の章ですが...)
匿名さん。
削除楽しみにしていただいている方がここにもいらっしゃったとは。
ねこあるきの意訳は、罵倒されることが多々ありますから、そう仰っていただけると、いっそうの励みになります。
あたたかいコメントを有難うございます。
私はジョージとジョンが付き合って、破局するまでが気になってしょうがないです。
なんでこんな素晴らしい和訳を罵倒なんて出来るのか、不思議です。
返信削除そういう人は、自分では何もしないくせに文句だけは一人前なんです。
どうか負けないでくださいね。
ジョージとジョンはそれまででも殴り合いの激しいケンカを
何度もしていたみたいですが、破局の決定打が何なのか、私も気になるところです。
こんにちは。時々此方に伺って次の章の和訳を為さらないのかと心待ちにしておりました。
返信削除20日に一寸出掛ける用事が有って暫く今日まで伺う事が出来なくて、再開された事を今知りました。
お元気でお過ごしだったでしょうか?
大変心配をしておりました。
こうして又和訳をされた賞を読めます事を心から嬉しく思っております。有り難う御座います。
ざっくりと読ませて頂きましたので、感想は後程。
コロナ、異常な暑さ等 どうか御体御大切に為さってください。
短いですが 御挨拶まで。失礼致します。