2019年7月22日月曜日

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第六章

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第六章



第六章、Chapter6は、ジョージ少年が通う「エルタム・グリーン」の学校生活です。

ここまで読むと、虐められた記述があり、あまり学校は好きではなかったようではありますが、詳しく読んでいきます。


月に1回1章、を心がけていますが、気付いたら1章遅れになってますね。
そのうち、挽回します。


チャプター5はこちら


CHAPTER 6
第六章


エルタム・グリーン・スクールでの思い出は、例えるならヤミ医者の元で、妊娠の中絶手術を受けるのと同じくらい、屈辱的で、忌まわしく、そこで起きた出来事を、僕は忘れてしまいたいよ。

そこでは何ひとつ、誇るべき瞬間も、輝かしい勝利もなく、ただ漫然と長い日々を重ね、月々を経て、何年も無為な退屈だけが過ぎて行った。

どんな自己表現も、個性や感性の芽吹きも、早々に摘み取られ、制圧されてしまうんだ。

投げつけられる単語は「反抗的」「生意気」、二語以上なら「規律に従え」「足並み揃えろ」、こんな言葉を僕は百万回も浴びせられたよ。


僕の成績表いわく

『オダウドは聡明である。もし窓の外の代わりに教科書に目を向けていれば、多くのことを成し遂げるだろう』


エルタム・グリーン総合性中等学校にいるほとんどの時間、僕は窓の外を見て過ごし、空想を描き、うわさ話に花を咲かせ、机にエッチな落書きをして過ごした。

(訳注:総合性中等学校とは、小・中・高を統合した「コンプリヘンシブ・スクール」のこと)


家では励まされたり、褒められることも無かった。

座って宿題をするように言われることも無く、映画に出てくる、教育熱心な両親のように、我が子にプレッシャーをかけることもなかった。

例えばさ。

「あなたは弁護士になるんだから。
退学なんてしたら、将来はいったいどうなるの?」

こんな感じで。


建築業に就くために、教育は必要ないんだ。
母さんと父さんは、あまりに忙しくて、僕たちの学校の勉強に興味をもつ余裕は無かった。

母さんと父さんは専門家に任せておけば安心で、専門家は母さんと父さんに委ねておけば大丈夫だと踏んでいた。


もし君が遅刻したなら、僕の学校では集会場の外にある、白黒タイル張りの広場で待たされることになる。

黒いタイルのひとつに立たせられ、徴兵のように腕をぴったり身体の脇に沿って下げ、姿勢を正しくしていないといけないんだ。

午前9時30分。
ドーソン校長は、駐在のヒトラーよろしく、集会所の階段をカツカツと昇って来る。
広場で直立している遅刻者は、校長の朝食代わりの餌食となる。

まず校長は、君の周りをぐるりと一周し、頭のてっぺんからつま先まで、狂気じみた目を光らせて、ジロジロと舐めるように見る。

もし、君が遅刻の常習者で、用意した言い訳がイマイチなものだったら、校長は容赦なくぶん殴るため、取り調べに余念がなかった。

校長は僕の前に立ってこう言う。

「オダウド。なぜ遅刻したんだ?」

「分かりません、校長」

「分からんだと?オダウド」

「寝坊しました、校長」

「私の用が済むまで、外で待っておれ」


ピーター・ドーソン校長が、このエルタム・グリーンに赴任する前は、ここは評判の悪い学校だった。

ドーソン校長自身は、一定の評価を得た人物だった。
彼は一流の独裁主義者で、体罰の支持者だった。

悪評高いエルタム・グリーンは、校長にとって大きなチャンスだ。

校長をひと目見ればすぐに分かる。
彼の肥大した自尊心は、阻塞気球の大きさに膨れ上がって、空にそびえ浮かんでいるから。




訳注と参考画像:

阻塞気球(そさいききゅう)は、対 低空飛行機用に、たくさんの金属ケーブルでつながれた巨大な気球のこと。



つまり、たくさんのヒモでつないである大きな風船。
ヒモの部分がクモの巣のように、飛んできた戦闘機を引っ掛ける。

イギリスで第二次世界大戦まで量産された。

『校長の自尊心は、阻塞気球のようだ』、とのこと。




校長は、男にしてはチビ助だったが、絶大な支配と力を振り回した。
その迫害は生徒だけに及ばず、先生にも同様だった。

校長はタッセル付きの角帽を頭に載せ、それに合う黒いピン・プリーツ(細かいひだ)のマントに身を包んで、学校中をパレードしつつ、教室を仕切るガラスドアから、中の様子を覗いていた。

そして、集中してないとか、おしゃべりしている生徒を見つけたなら、この黒いマントの小男は、ただちに気が狂ったコウモリのように教室へ飛びこんでいった。

「外へ出ろ」

突然の妨害は先生たちを激怒させ、そしてこの行為は、先生の持つ権威を弱体化させることになった。

校長は、このテロ行為を校内放送へも広げ、授業中にも関わらず、呼び出しを掛けた。

名指しで呼び出しを受けた生徒は、いきなり話題の中心人物になったような感覚に陥り、教室を後にする。

その頃、同級生たちは「あいつ、何をやらかしたんだ?」と憶測を飛び交わせているだろう。

しかし、本当の恐怖は廊下を歩くにつれ、徐々に差し迫ってくる。

生徒は、校内放送で呼び出されたのに、待たされることになる。
時には1時間も待つんだ。

この待っている時間が、最悪なんだ。


ドーソン校長は、ガラスのキャビネットいっぱいに、様々な形や大きさの杖を持っていた。
そのうちのどれかは、他のよりすごく痛いんだ。

校長は、杖のひとつに指をさし、生徒に取ってこさせる。

「かがめ」



▼参考画像。かがんだ姿勢と体罰。






校長は生徒を打つ前に、ゆっくりと待っているのが常だった。

すべては規則正しく、整然と行われた。

ドーソン校長は、じわじわと生徒が追い詰められて恐怖するのを味わっていた。

この一連の行為は、君や僕に尊敬を教えるためのものだそうだ。


ドーソン校長の部屋から廊下続きに、ディーコン副校長の部屋があった。
副校長は、自分に与えられた役割に納得できないでいた。

ディーコン氏は、その見た目から副校長というよりも、頭からストッキングをかぶり、銃身を切り詰めたショットガンを抱えているべきだ。




▼参考画像。「銃身を切り詰めたショットガン」ソードオフ・ショットガン。
 『副校長は、ストッキングをかぶってショットガンを抱えているべき』容姿。






その肉体を威圧的にそびやかし、品の悪い角刈りと平たい鼻の持ち主だった。
副校長は、暴力や暴言を吐く前に、少しは人の話に耳を傾ければ良かったんだ。


図書館の係員であるミス・クラインは、中世の引き延ばし拷問台にかけられた犠牲者のようだった。


▼参考画像。中世の「引き延ばし拷問台」。別名「エクセター公の娘」。




(訳考:手足がひょろ長いんだろうか?)



クライン先生の、ショッキングピンク色した口紅は、彼女のコーデュロイのマキシスカートと、フリルネックのブラウスにまったく合わず、浮いていた。

彼女は足に、目に見えないキャスターがくっついているような、軽やかな足取りで図書館内を歩き、ひそひそ話や時折起こる騒動を静かにさせて回った。

ほらまた、男の子たちが書架から本を引っ張り出し、うっかり手を離してドサッと床に落とした。

「もう、たくさん」

彼女は金切り声をあげた。

「お静かに、お静かに」

子どもたちはひどく苛立っていた。


僕たちの英語の先生、ミス・タイラーは、優秀な人だった。

タイラー先生は、ドアを開けたままにして、物思いにふけるニワトリみたいに、そこから出たり入ったりしていた。

先生は真珠と、値段の高そうなニットのドレスを身に着けていた。

タイラー先生は、「トム・ソーヤ」を読むときには、あたかもアメリカ南部小町よろしく、「R アール」の発音をきっちり巻き舌にした、南部訛りで発音した。
なんだか、挫折した女優のようだった。

「あなたちょっと変じゃない?」

先生は、僕の友達のトレイシー・カーターに言った。

「ご存知でしょう」

と、トレイシーは答えた。

訳考:
トレイシーが先生の「南部訛り」の発音を真似て音読したのを、タイラー先生は「変ではないか?」と指摘したが、それに対し、変な発音は先生のせいである、と返答した、という意味だろうか。



美術のリドック先生もまた、素晴らしかった。

彼は高い水準の教育を受けた先生だった。

彼は教材の平皿を、床にぶちまけながら、絶叫した。
「授業は始まっているんです!」

「いいですか ―」
先生は続ける。

「私はね、ド下手くそな尼さんみたいな絵を描く人には、誰一人として私の授業を受けてもらいたくないんです。考えれば分かるでしょう」


彼のクラスで、僕らは何かひとつ選んで描くことを許された。

僕はロバート・プラントとマーク・ボランが、裸の女性と一緒に、頭を寄せてもたれ掛かっている絵を描こうとした。
(訳注:ロバート・プラントはレッド・ツェッペリンのボーカル)

デヴィット・ボウイの「ダイアモンドの犬」みたいなやつ。



▼参考画像。ボウイの「ダイアモンドの犬」のジャケット。






でも、僕が描いたのは、妹のシオバンが学校で電話の受話器を置いているところを、鉛筆画で描いた。

これは、僕が退学になった最後の日に、目にしたものだった。


演劇の授業もまた、楽しかった。
ミセス・キャンキットは、ブロンドの髪をしたヒッピーみたいな先生だった。

先生は、僕たちを木の振りをさせたり、床のあちこちをゴロゴロと転げさせた。

キャンキット先生の授業は、本館に隣接する講堂の外で行われた。
なんだか急に、自由になった気がしたよ。

これまで抑圧されていた僕たちは、キャンキット先生の、生来のやさしさを利用して、彼女に地獄を見せた。

(訳考:授業をめちゃくちゃにしたのだろうか)

だけど先生は、校長先生に言い付けたりするタイプじゃなかった。


キャンキット先生の旦那さんは、僕たちの歴史の先生だった。
本当に結婚しているかどうか、にわかには信じがたいほど、彼は女っぽくて、すごくなよっとしていた。


僕の目は、授業の間ずっと時計に釘付けになり、早く昼休みにならないかな、と待ちわびていた。

学校で出される、キャベツとマッシュポテトの味がお気に入りだったな。
何度もお代わりをしようと、しょっちゅう席を立った。


僕は昼食の時、女の子の友達と一緒に座った。
トレーシー・カーター、シェリー・ユーゴ、ティナ・パーメンターと。

食堂のあちこちには、必ず先生がいた。
先生たちの、悪意でギラつく視線にさらされながら、昼食をとるんだ。


マッキンタイヤー先生は最悪だった。

彼はしょっちゅう僕を立たせ、女の子のいない、他の席へ移るようにしたものだ。

マッキンタイヤー先生には、男の子は女の子と一緒に座りたがるってことが、まるで理解できなかった。

「男女の間に、どんな会話の必要があるというんだ?」

僕は先生の奥さんに同情するよ。


僕の母さんは、このエルタム・グリーンで給食係と、校庭の保全、女子トイレへの見回り、そこへいたずら書きがされないように見張りを勤めていた。

ある日、母さんは、トイレの壁に僕たちの学校の電話番号を書いている一人の少女を捕まえた。

『セックスの相手を探しているなら、ここに電話して。856…』

母さんは、その子が落書きをこすって消すまでトイレに鍵をかけて閉じ込めた。


普通に学校がある日は、午前11時30分頃と、昼休み、それと午後の三回、レクリエーション休憩の時間がある。

雨が降ろうと、雪が降ろうと、僕たちは運動場に押しやられた。

大体の生徒は、だだっ広い灰色のコンクリートで出来た辺りをほっつき歩き、もっと運動したいタイプの子はサッカーをしていた。

なぜ自分から進んで運動するのか、僕には絶対に理解できなかった。


ある生徒たちが、勇敢にも体育館の裏に隠れて、タバコを吸いに行った。
そこで、喧嘩が始まった。

「なにガンたれてんだよ」

「別に。自意識過剰うぜえ」

たちまち拳が飛び交い、野次馬たちが集まってくる。

「やれ、殺せ」


何人かの男の子が、いつも僕を虐めていた。
僕はいじめっ子たちに警告した。

「僕に指一本ふれてみろ。兄ちゃんここに連れてくるぞ」

まあ、ほとんどはただ名前を呼ぶだけなんだけど。


「カマ掘り野郎」「ホモ男」

僕は喧嘩が大嫌いだった。

男の子が数人、門の外で僕を待ち構えている。

だから僕は、フェンスをよじ登って乗り越えるか、植え込みを突っ切って学校に戻った。

ずっと僕を追い回し、なじり続けた赤毛の男の子には、さすがに僕でも業を煮やし、ケリをつけようと思い立った。

僕は言い返した。
「お前んちの家族は、みんなそろってマスかき野郎だ」

ちょうど僕がバスを降りようとしていた時、そいつのパンチが僕の顔にヒットした。

僕は彼をひっつかむと、赤毛頭を金属製のバスの昇降階段に何度も叩きつけた。

みんなが僕を応援する。

「行け!オダウド!そいつをやっつけろ!」

車掌はバスを停め、僕たちを放り捨てた。

バスから出されて、喧嘩は路上へと場所を移して続いた。

僕は何度も殴りつけ、赤毛の服をビリビリに引き裂き、僕の木製のプラットフォーム靴で蹴っ飛ばした。


その後、僕は泣きながら森の中を歩いて帰った。

僕は、この「怒り」という感情が嫌いだった。
本当に彼を殺してやりたかった。


僕は時間割に「体育」の項目を見ると、気が滅入って病気にでもなった気分だった。

母さんは僕のおたより帳に書く。
「ジョージは体育をお休みします」

母さんが書かなかったら、僕が自分自身で書きたいほどだ。

マッキンタイヤー先生は、血走った顔つきをした体育の先生で、せっかくおたより帳に「休む」と書いてあるのに、無視して僕に授業を受けさせた。

「よし、準備しろ、オダウド。体のでかい女みたいな素振りをするな」

僕はマッキンタイヤー先生が大嫌いだった。
サディスティックで、頭の固いロクデナシで。

学年主任で、体育のマッキンタイヤー先生は、繰り返し悪夢に出てくるんだ。
彼の授業を受けるなんて、悪い冗談にも程があるよ。

こん棒でぶん殴ったハギスのような奴が、どうして僕たちに体操を教えられる?




▼参考画像「ハギス」。スコットランドの伝統料理。
 手前が輪切りにしたハギス。





先生は、サッカー場ごしに僕を怒鳴りつけた。
「足を上げろ、ラッシー(:スコットランドの小娘の意)」

僕は可能な限り、ボールから遠くはなれて、足をぎこちなく動かし、あたかも参加しているかのように見せかけた。
そこなら、僕にボールが回ってくることは無かったし。

まさしく、90分の拷問だった。
僕はサッカーのユニフォームに身を包んだまま、凍り付いていた。


それと、共同シャワーが恥ずかしかった。

だから、普段の僕ならシャワーを浴びなかったのに、抜け目ないマッキンタイヤー先生からは逃れる術もなく、選択の余地は無かった。

なるべく他の男の子たちを視界に入れないようにしてシャワーを浴び、目線は常に床へ落としていた。

「おい、オダウドのやつが、お前のチンコじろじろ見てるぜ」

「ホモ野郎」

僕はパッと脱いで、ちょっと浸かって、数秒で服を着た。


ある時、マッキンタイヤー先生は僕を「サボり魔」の見せしめとしてクラスの前に立たせ、他の生徒にも注意を促した。

先生は僕に選ばせた。
「手が良いか、尻が良いか?」

僕は手を差し出した。

先生はあまりにも強く僕の手を打ったので、赤い血が流れ出した。
僕は泣き叫びながら、学校から逃げ出した。

母さんは僕を連れて、学校へ戻り、マッキンタイヤー先生を探した。

先生たちには各々喫煙する場所があり、そこで悪態をつき、自分の境遇を嘆いていた。
偽善者どもめ。

母さんと僕は廊下を歩いた。
「マッキンタイヤー先生はどこ?」

母さんは、先生をとんでもない卑怯者と呼び、僕に対して手を出さないように言った。


母さんの怒りは、先生のさらなる攻撃を招いた。
先生は僕をあざけって、野次を飛ばすようになったんだ。

「ほーら、オダウドを怒らせちゃいけないぞ。
なんたって、母ちゃんを学校に連れて来るからな」


母さんが学校に来るのは、もはや伝説になっていた。

弟のジェラルドが、ミドル・パーク小学校にいるときもそうだった。
ジェラルドは、修学旅行に行くのを禁止されたんだ。

母さんは、今から発とうとする指導員の前に立ちはだかった。
「ジェラルドが行けないのなら、誰も行かせません」

指導員は知恵を働かせ、母さんに一杯食わせた。

「あなたがジェラルドと一緒に行くなら、修学旅行に行けますよ」

その時の、母さんの格好と言ったら、頭にカーラーを巻き、コートの下には寝間着を着たきりだった。

指導員は、母さんとジェラルドを残して出発した。





第六章 ここまで。







2019年6月2日日曜日

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第五章

 TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第五章


第五章、チャプター5は父親ジェリーことジェレミア・オダウドと、その家族です。

ジョージ少年を囲むのは、個性が強い母方の親族、エキセントリックなご近所さん、なかなか馴染めない学校と読み進んできましたが、父方はどうでしょう。


そして、私事ながらいつもお待たせして申し訳ございません。


チャプター4はこちら


CHAPTER 5
第五章

まだ子供だった僕でさえ、父さんが不満を抱えていることは勘付いていた。

経済的な理由から、父さんはその場その場で得られる仕事に甘んじていたけれど、それはただ坂道を転がるように、父さん自身の状況を悪くしていくだけだった。

育ち盛りの6人の子どもを食べさせ、さらに家賃の支払いもあり、生活のすべては、父さんの肩にのしかかっていた。

父さんは、自分の親族から孤立するプレッシャーを受け容れていたし、職場で起きた問題が、プライベートまで侵食するのも良しとしていた。

やがては、それが問題であるという意識すら、無くなっていった。


「エルタム装飾業。標準労働時間、出来高ではなく、定額払い」

父さんの名刺には、このように書かれていて、父さんは文字通りそのままだった。
父さんは実直で、顧客を友達のように扱った。
顧客らは、お世辞を見返りにして、支払いを完済しなかった。


父さんは仕事以外ならば、いろんな面でタフな男だった。

父さんの仕事仲間は、耳に手巻煙草をはさんだ酔っぱらいや、腕の悪い鋳掛屋などの胡散臭い連中で、僕たち家族は運に見放されたと思っていた。

困りごとがあったら、ジェリーのところへ行け、彼なら助けてくれる。

そいつらは朝一番に、僕たちの家の周りで落ちあって、台所へ入り込み、腰を下ろしてはフーフーと、またはズルズルと音を立てて、お茶を延々と啜っていた。

僕は交わされるバカげた無駄話にイライラしたし、家の中は、ゴールデン・バージニアのひどい臭いで満たされていった。


▼参考画像:ゴールデン・バージニア(手巻煙草)



父さんは気付いていなかったけれど、これは明らかなプライバシーの侵害だ。
もちろん、僕たち家族は不愉快で、安心して朝食なんか食べられたものじゃなかった。
母さんも苛立って、気が狂いそうになっていた。


父さんは、新しく建てられた家の装飾を始め、競合する他の企業よりも安く請負って、評判を高めるためだけに、気乗りしないまま働いた。

何年かの働きが実って、父さんはクアドラント・ハウジング(訳注:大手の住宅会社)との間に、ホームレスと保護観察処分になった人へ向けて古くなった不動産を改装する契約を勝ち取った。

この時父さんは、いくつもの仕事を掛け持ちしていて、一日中、現場から現場へ、オンボロの緑のベッドフォードのバンで移動し、仕事仲間との「お茶会」から外れて、納期を守ろうと努力していた。


父さんは、真っ当な収入を得るようになった。
問題は、それをどう使うかではなく、彼がタダで人に与えてしまうのをどう辞めさせるか、ということだった。

父さんが多くのお金を、馬や、自分の懐を痛めないためだけにすり寄ってきた、上っ面だけの都合のいい友達に対して浪費するのを、母さんは見てきた。

誰でも泣けば、いつも父さんは大きな仕事用のバケツを手にして、涙を受け止めに駆け付けた。

見知らぬ人や、親戚から見れば、父さんはとんでもなく慈悲深い存在に見えただろう。


母さんは碌な洗濯機を持っていない事に愚痴をこぼした。
それは、父さんが装飾業を営んでいるのに、自分の家をきちんとしていない事を意味していた。

「建築家と一緒に住んでいるからと言って、自分の家の装飾まで保証されるわけじゃないわね」
母さんは正しかった。

父さんが自分の家の台所に手を入れて、まともに仕上げるまで10年も掛かったんだ。


父さんは独りでいるのが大嫌いだった。
誰かと行く個人的な旅行の話をするために、父さんは子供たちに学校を何日も休ませた。


父さんの、一日の締めくくりにはいつもフライアップとお茶が付きものなので、油で汚れた軽食堂に足しげく通っていた。
何時間も食堂に居座って、そこにいる人たちとおしゃべりをするのが常だった。

その様は、まるでダリッジ(ダルウィッチ)にある軽食堂を営んでいる、ドラァグクイーンのバブルスのようだ。

バブルスは、かつてチャールトンにあるバレー・クラブでパフォーマンスをして過ごし、その傍らソーセージと玉子、それとポテトのフライを盛りつけた料理を、いかつい建築業者へ供していた。

彼、バブルスは皆に愛されていて、誰かがいやみを言おうものなら、このずんぐりむっくりした巨漢のクイーンは、そいつの鼻っ柱をへし折ってやったものだった。


ウーリッジでも、ダリッジでも、ペッカムでも、オールド・ケント・ロードでも、父さんは良く顔が知られていた。
「やあ、ジェリー」の声を掛けられずに、父さんと一緒に通りを歩くのは無理だろう。

父さんはしょっちゅう、僕をバンに残して何時間も待たせたままにしていた。
「悪いな、せがれ。あいつとは数年ぶりだからさ」


父さんは個性的で変わった人物の取り巻きになるが大好きで、彼らから奇妙な物語を聞いたり、その人たちのためにティーカップを揃えていた。

そのうちの誰かは、本当にチャールズ・ディケンズの小説に出て来そうな感じで(訳注:下級層の弱者のこと)、その顔立ちは1000年ものの老木のようだった。

それから、ビル・プーリーは愛すべきならず者で、戦争で魚雷になった話をしていた。
彼のお気に入りの言葉は「サブ」だけど、「サブマリン(潜水艦)」というより、「サブシティ(助成金)」に近いと思う。

ビルは自分の持っている自転車を、助成金をもらうために質に入れ、得たお金でビールを買うか、賭けごとに使っていた。
せっかく手に入ったお金も、競馬に全部突っ込んで、失くしてしまった。

父さんがビルに仕事を与えれば、決まって予備の乳剤を1ガロン(訳注:4.5リットル)、彼の元に残しておいた。
父さんは、ビルが何か盗まなくては気が済まないのを知っていて、わざと乳剤を盗ませて、事を済ませていた。

父さんはビルに肩入れしていた。
いわく、ビルは自分の人生を豊かにしてくれたから、とのことだった。


僕たちのいとこ、テリー・コールターが、仕事仲間に加わった。

彼は6フィート(182.88cm)の身長と、肩まで髪を伸ばし、口を開けば悪態や罵声が次から次と、彼一人でも500人ものミルウォールのサポーター(訳注:サッカーチームのサポーター。フーリガンとして悪名高い)がそこにいるようだった。

テリーは愛嬌があって、その他の連中ほど年老いてはいなかったが、ベッドから彼を起こすには、年寄りを起こすのと同じくらい時間が掛かった。


それと、アルビー・レークも加わった。
父さんは、行政から要請を受け、保護観察処分になったアルビーを受け容れた。

アルビーは賭博で刑務所に入っていた。
彼は収集癖があり、釘で固定されていないものなら何でも盗んだ。

2,3日姿を見せなかった時は、彼が馬で勝った時だと父さんは分かっていた。

アルビーの家族は彼を拒み、アルビーは行く宛ての無いホームレスになっていた。
父さんが古い家屋の改装するときに、部屋のひとつをオフィスにして、キャンプ用のベッドを設置し、改装が終わるまでアルビーの一時的な住処にしていた。
もし誰かが『そこで何やってるんだ』と聞けば、父さんは『アルビーは仕事道具と、財産を守っているんだ』と答えるだろう。

叔父のアランは、チェ・ゲバラみたいなヒゲと、抜け目ない目つきをした犯罪者だったが、アランは父さんのために働いた。
父さんは家具に囲いを付けていなかったので、代わりにアランが作って付けてくれた。

アランは、テリーの妹のティナと結婚していた。
ティナは鉄の棒を使って、アランにいう事を聞かせていた。

彼女は、スレート工が持っている釘袋みたいなオッパイをぶら下げたゴーゴーダンサーで、漂白したブロンドの長い髪と、天を突くようなまつげをしていた。

訳注)ゴーゴーダンサー:ナイトクラブでセクシーなダンスをする。

▼参考画像:釘袋。(みたいなオッパイ)


彼女は、マイク・リーの演劇から抜け出してきたみたいな人物で、僕はティナが好きだった。

横柄なところも、思いあがったところも。
僕の母さんとは全然ちがって、下品でがさつだった。

アランとティナの住むアパートは、流行の最先端のものが全部置いてあり、アランはティナが望むものだったら、何でも手に入れていた。

残念なのは、アランはその支払いを忘れていたこと。

アラン夫婦がパーティに来る時に、僕は赤ちゃんのお守りをするため、彼らの家に出向いて行った。
ティナの出かける身仕度は、見ていてすごく楽しかった。

マスカラだけで少なくとも1時間はかかっていて、何層も重ね付けをしたあと、髪を整えてセットするのにも、さらに1時間は必要だった。

彼女は巨大なリング状のイヤリングと、裾がAラインでホルターネックのドレス、それにプラットフォーム・ブーツを履いて、その装いは言葉以上で、きっと君には想像もつかないものだと思うよ。



▼参考画像:大きなリング状のイヤリング(イメージ。マネキンが装着してます)




▼参考画像:ホルターネック。首の後ろで一つになった襟のこと。





▼参考画像:70年代のプラットフォーム・ブーツ(イメージ)





ティナは狂気じみて嫉妬深かった。

ある土曜日に、ティナはジョシーおばさんと、母さん、それにアランと一緒にウールワース(訳注:スーパーマーケットの名前)にいた。

そこで、ウーフー糊のプロモーション販売をやっていた。

▼参考画像:ウーフー糊。ウーフーグルー。





カウンターの影にいた、売り子の女の子が、アランに向かって「ヤッホー」と声を掛けたんだ。

途端にティナは激高し、女の子を殴りつけ、叩きのめしてしまった。
一緒にいた母さんは、お菓子のカウンターの後ろに隠れた。


ティナはアランにとって、恐るべき存在だろうが、その一方で、ティナには優しい面もあったんだ。
彼女は心の底で、ひどく不安に怯えていた。

一度、僕が赤ん坊のお世話をしに行ったときなんかは、ティナが厚底靴を投げつけるのを止めるまで、幼いいとこのビリーと寝室に隠れなきゃならなかった。

彼女は陽気で面白い人物だったと思う。
あるときなんか、僕にお金をいくらか渡しながらレコードを買ってきて欲しいと彼女は頼んできた。

そのレコードの名前を「ビニース・ザ・ニー(膝の下)」と言った。
「この歌知ってるわよね、『ビニース・ザ・ニー。私はあんたに夢中なの♪』」

彼女が言っている「ビニース・ザ・ニー」は、本当はブロンディの「デニス」が正しいんだ。(邦題:デニスに夢中)


ティナはいつでも、夫のアランが使うお金に関して気前が良かった。

毎週金曜日、アランは自分が買ったものは何でもティナに渡すから、彼女はそれをハンドバッグに詰め込んで、パンパンにカバンを膨らませたまま持ち歩いていた。

ティナとテリーは、父さんの姉であるジョシーおばさんの子だ。

ジョシーおばさんが結婚した夫のビリー・コールターは、元プロボクサーで、強盗でお縄になって有罪判決を受けていた。

ビリーは7年間、刑務所暮らしをし、その間に彼が設けた小さな家庭はバラバラになってしまった。

ジョシーは愛らしくも、悲しい女性だった。
彼女はハッとするほど美しく、父さんと同じく、ローマの彫刻のような面持ちをしていた。

ジョシーはその頃、30~40台だったのに、ティーンエイジャーのような格好をしていて、露出度の高いミニドレスに、縫い目のあるストッキングを履いていた。


▼参考画像「縫い目のあるストッキング」





ただでさえ、スタイル抜群なのにさ。



ジョシーの家庭では、怒鳴りあいの喧嘩が絶え間なくあった。

父さんは、この悲哀に満ちた姉のジョシーを深く愛していたから、彼女を助けるために決まって外へ連れ出していた。

夫であるビリーは、自分の妻ジョシーを冷遇し、妻と子供たちを、飲み屋の外へ逃げ出すまで蹴りつけた。

そんな扱いを受けても、彼女は夫の元へと戻るのだった。
ビリーが収監されている間、ジョシーはすっかり酒におぼれてしまった。

彼女は、面会を拒否されて手持無沙汰になった時以外は、忠実に彼を待っていた。


僕たちはクリスマスを、ジョシーとメイおばさんを加えてよく過ごした。

ジョシーは酒瓶を家中の至る所に隠して、いかにも素面であるかのように振舞っていたけれど、彼女が何をしているのか、そこにいる誰もが分かり切っていた。

あるクリスマス、僕たちはちょうど夕食を始めようとしていたところに、突然ビリーが現れて、正面玄関の外で、気が狂ったように大声で怒鳴り散らした。

「ジョシーをここから逃がしておけ」

父さんはそう言い捨てると、怒りに任せてビリーを追いかけて行った。
ジョシーは泣きながら、僕たちのクリスマスを台無しにしてしまったことをひたすら詫び続けた。

母さんは性根が据わっていて、この阿鼻叫喚の中、黙々と芽キャベツを皿に盛りつけていた。


母さんがジョシーと仲違いした時は、僕たちに彼女のところへ行ってはいけない、と言った。
僕たちはこっそりと、身を潜めてジョシーの家へ遊びに行った。
僕はジョシーの元を訪れるのが好きだった。

彼女は僕らの世話をしてくれたが、もう僕たちのお守りには、いささかうんざりしていた。

ジョシーはパブ・サンドウィッチ(茶色いパンで大雑把に具をはさんだサンドウィッチ)を作り、玉ねぎのピクルスを添えて出してくれた。

僕が一緒にいて居心地が良かった、数少ない大人のひとりが彼女で、今でもやっぱりジョシーを恋しく思うんだ。

1979年に、ジョシーおばさんは薬剤とアルコールを過剰摂取し、オーバードーズのすえ、悲劇の人生に幕を下ろしてしまった。

程なくして、父さんは唯一の兄弟デイヴィも失い、― デイヴィもまた、アルコール依存症が原因だった ― それからメイおばさんも亡くなった。

父さんはひどく取り乱した。
この年はたった1年間で、父さんの家族のうち3人も埋葬することになったんだ。


デイヴィおじさんは、父さんに瓜二つだった。
ただ一つ異なっていたのは、デイヴィの怪我した目だけで、他はまったく同じ顔だった。

まだデイヴィが学生だったときに、作業用の足場が目に当たってしまったんだ。
目を怪我して以来、デイヴィはすっかり気を落としてしまい、自信を喪失してしまった。
そして、彼は亡くなるまで、父さんのために働いた。


僕はデイヴィと、奥さんのジャンおばさんの子どもたち、エマとリサの子守を勤めた。
おおよそ週末になると、僕はデイヴィ家に泊まって過ごしていた。
僕にとって、デイヴィ家はもうひとつの家族のようなものだったんだ。

ジャンおばさんは、美容師だった。
彼女は、僕をちゃんとしたジギー・スターダストの髪型にしてくれた。

流行雑誌から、ボウイの写真を切り抜いて、おばさんに手渡しながら僕は言った。
「きちんと切ってくれたら、この写真通りの髪型になるはずなんだ」

仕上がりは完璧だった。

てっぺんがツンツンしていて、耳周りは短く刈り込み、後ろが長い。
難を言うなら、髪の色がジギーと同じオレンジ色じゃなかったってこと。
学校ではみんなが僕を指さして笑った。


デイヴィおじさんが亡くなったとき、僕は本当に悲しくて、その事実を受け入れられなかった。
デイヴィとジョシーは、僕ら子どもたちにとって、家族同然の大事な存在だったから。


父さんは、決して酒に溺れることは無かった。
むしろドッグレースや、競馬でひと山張るのが好きだった。

父さんはキャットフォードか、ホワイトシティにあるドッグレースの競技場に、僕をよく連れて行った。

僕には結局、そのルールや楽しみ方は分からず仕舞いだ。
だけど父さんにとっては、ツイてさえいればスリルを楽しんでいた。

たまには運が向いて、ひと儲けできたかもしれない。
でも、今まで賭けた分の、元は取り返せなかっただろうね。

母さんは無駄遣いだと、父さんにぐちぐち小言をこぼしていた。

「この金は、俺が汗水たらして稼いだもんだ。何に使おうと勝手だろうが」
「あなたのお金は、私たち家族のお金よ」


土曜日の朝はいつも、父さんはブック・メーカー(賭け屋)に行って、ちょいと張ったあと、午後はテレビにかじりついて過ごしていた。

「負け馬だって分かってて賭けたんだ」
父さんは言う。

「人生なんて、そんなもんさ」

そして、母さんに笑いかけた。

「なあに、賭けたのはほんのちょっと、だけなんだよ、お前」

まあ、母さんにそんなウソは通用しないんだけどさ。


父さんは頭に血がのぼりやすい性格を、どうにかしようとしなかったように、ギャンブル癖が抜けないことについても、向き合わなかった。

だから、賭け事は土曜日だけのちょっとしたお楽しみにとどまらず、毎日のように手を出していた。

父さんの姿が見当たらないとき、母さんは決まって言った。
「父さんなら、チャーリーおじさんのところでしょ」

何年もの間、僕たちは『チャーリーおじさん』が、いったい何者なのか分からなかったが、ついに知るときが来た。

それはハイ・ストリートにある「チャーリー・ウェッブ私営馬券売り場」のことだった。


僕の兄弟たちはみんな、父さんを支えるために装飾業を手伝い、働いた。
(僕は自分を装飾する方が断然良い)

仕事の後は、父さんが賭け事をする間、賭け屋の前に腰を下ろしたり、バンの中で待っていたりするのが、一連の儀式となっていた。

賭け屋から出てくるなり、父さんは僕たちに声を掛けた。
「よし、行くぞ。母さんには何も言うな」




第五章 ここまで。





2019年4月20日土曜日

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第四章

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第四章


第四章は、デヴィッド・ボウイに影響を受けた幼少期です。

個人的なことですが、第三章であまりにも直訳過ぎたものだから、ちょっと反省して、第四章では、少し日本語の体裁を整えました。

時間があったら、しっかり見直したいもんです。






CHAPTER 4
第四章


おばあちゃんは、おじいちゃんが亡くなった後に引っ越していた。
僕たちは、そのおばあちゃんと一緒にバーミンガムへ行って過ごしたんだ。

おばあちゃんは、母さんの妹のテレサと一緒に住んでいた。

テレサは、子どもの頃に事故に遭い、体の一部に障害を負ったため、両足に装具を付けないと歩けない身体だった。


僕が最初にテレサを見かけたのは、ジョアン・クレセントの家の台所だった。
母さんは、妹が訪ねてくるから、と言っていた。

僕は学校から大急ぎで帰ってきた。
来客があるときにはいつも、僕たちはわくわくしていたんだ。

僕は、自分が目にしたものを信じられなかった。

テレサの身長は4フィートで(121.92cm)、ものすごく長い髪は、半分ずつ白と黒に染めてあった。
碁盤目模様(チェッカー柄)のドレスを着て、ジョン・レノンがかけているような、眼鏡をかけていた。
おばあちゃんは、テレサの格好を怖がっていた。

おばあちゃんは言う
「じろじろ見ちゃダメだ。ただ褒めるだけにしときな」

僕は恋に落ち、僕と結婚して欲しい、とテレサに手紙を書いた。

テレサは、二階に上がるのを僕たちが手伝おうとすると、松葉づえを振り回して怒鳴りつけた。
「あっち行け。これくらい自分で何とでもなる」
僕は彼女の勇敢な精神を愛した。

お医者さんは、テレサは子供が産めない身体だと話した。
それにも関わらず、彼女には二人、子どもがいた。
トレヴァーとヴァネッサだ。


テレサは1970年に、大学で出会ったバリー・グラッドウィンと結婚した。
みんなは彼女を誇らしく思った。
それで、みんな揃ってバーミンガムへ行ったんだ。


振替休日に行われた結婚式は、喜びにあふれ、そこにいた人は皆、微笑みを浮かべて、まるでクリスマスのようだった。
お式で、僕たちはアイルランドの親せきに会えた。

誰かが「ダニー・ボーイ」やレベル・ソング(訳注:アイルランド独立の歌)を歌った。
みんな拍手をして、一緒に歌ったんだ。


その時の母さんの装いは完全な「グラム」だった。
服装も、靴も、ハンドバッグまで完全にマッチして、すべてにデイジーレースが縁取られていた。

母さんは髪をハチの巣にし、クモまつげにしていた。
(訳注:上記は直訳です。下記画像を参照)


▼参考画像
beeheveハチの巣(髪型)と、spider lashesクモ(蜘蛛)まつげ。





子どもの僕たちは、腹話術師が持っている、木の人形のような格好をした。
白いストレッチシャツ、伸縮性のある、ベルベッドのボウタイとエナメル靴、髪は頭に、テカテカに撫でつけられていた。

シオバンは、おもちゃのような格好をしていた。
フリルのドレスは、リボンとちょう結びで覆われていて、ばかげたキスカールの髪型をしていた。


▼参考画像。子どものキスカール





母さんは、いつもミシン台のところにいて、シオバンのために新しい服を作っていた。
僕の目から見て、シオバンは過保護に育てられていた。

それに対し、母さんが僕に買ってくる服は、見るからに「誰も選びそうにないもの」で大嫌いだった。

僕は、もっと鮮やかな色で、虹色のタンクトップ、赤いベルベットのパンタロン、空色のブルゾンが欲しかったのに、母さんは、そんなものは5分で飽きるでしょ、と言いのけただけだった。



僕は母さんの化粧品を借りて、青と緑のアイシャドウを乗せ、サーモンピンクの口紅を引き、飛び跳ねながらヘアブラシに向かって歌った。

"Metal Guru is it you. Yeh, yeh, yeh.”
「メタルグルーは君かい、イエー、イエー、イエー」


訳注:Tレックスの歌「メタル・グルー」1972年
▼参考:トップオブザポップスより






母さんの化粧は最小限に済ますだけで、本当に化粧道具を使うことが無かった。
誰かが結婚すると決まった時など、万一に備えておいてあるだけだった。


僕はたったの11歳だったけれど、マーク・ボランやデヴィッド・ボウイのような格好がしたくてたまらなかった。

女の子用の靴が欲しくて、特にボウイが日本ツアーで履いていたコルクの厚底のプラットフォーム・シューズに憧れていて、それがデッドフォードのハイ・ストリートにある、アンダーザブリッジのシェリーズ(訳注:ブランドの名前)に売っているのを僕は見つけたんだ。


▼参考画像:シェリーズの靴(ホームページより)



▼シェリーズロンドンのホームページ
https://www.shellyslondon.co.uk/



▼日本ツアーのデヴィッド・ボウイ
ジョージ少年が憧れた、コルクの厚底の靴を履いている?





僕はずっとシェリーズを見張っていた。
 母さんが買ってくるものは全部、靴底が半インチ(1.27センチ)しかない、なんとも無残なものばかりだったから。

僕は母さんに、何度も何度もお願いした。

母さんはある日曜日に、ブリック・レーンにある蚤の市に行き、3インチ(訳注:7.62cm)の厚底の靴を手に入れて帰ってきた。

母さんはこんな、とんでもないものは、僕は履かないだろうと思っていた。

僕は早速、履いてみた。
履いたまま学校へ行こうと逃げ出したけれど、僕はまっすぐ家に帰された。


父さんが家を片付けた時、色々なアンティーク・グッズが出てきた。
服、雑貨、古い額縁、写真、ラグ、それとカーテンなど。

またある時、父さんは、サージェント・ペパーのジャケットを4つ持って帰ってきた。


▼参考画像
サージェント・ペパーのジャケット(イメージ)





僕はそのうち1つを着てみたかったのに、父さんは許してくれなかった。
父さんは小屋にしまい込み、鍵をかけてそれっきりだから、きっとそのままダメになったんだと思う。


ジョシーおばさんは母さん宛てに、古着をいくつか送ってくれた。
でも、母さんにとって派手すぎて、肌の露出が多いものだった。

その中から、僕はオールインワンの、銀色のラメ糸で出来たジャンプ・スーツを見つけ、家中のあちこち着て回った。



▼参考画像。銀ラメのジャンプ・スーツ(イメージ)





すると、声が掛かる。
「お前の物じゃないよ、さっさと脱いで」

僕は正面玄関に向かって、じりじりと進んだ。
この格好のまま大通りに出て、伝説のルレックスのような軽やかな足取りで歩いてみたかったんだ。
父さんだって、こんな服は持っていないだろう。

おかしなことに、そのジャンプ・スーツは忽然と消えてしまった。


訳注:「Lurex ルレックス」が不明。
ラメ糸の会社「Lurex」ならレスターにある。
▼Lurexのホームページ
https://www.lurex.com/



長兄のリチャードは、ボウイとボランの熱狂的なファンだった。
彼が外出中に、僕はレコードと服を拝借していた。

時々、リチャードは使い古したプラットフォーム・シューズや、かっこいいフレア袖で、ユニセックスのTシャツを僕に寄越してくれた。
でも彼は、一番いいものは誰にも渡そうとしなかったんだ。

リチャードは、リーグリーンにあるパラファーナリアか、チェルシーガールで服を買い、時としてガールフレンドが持っている林檎と虹のモチーフが付いたスクープネック(大きく開いた丸い襟ぐり)のTシャツを着ていた。

僕がセント・ピーターのユースクラブへ、それらの服を着て行こうとしたら、リチャードはカンカンになって怒った。

「それ、買ったばっかりなんだぞ。脱げよ。
母さん、ジョージがいつも俺のものに手を出すんだ」


リチャードのガールフレンド、サンディは、バブル・ウィッグを付け、ホットパンツを履き、白いフロストカラーのアイシャドウで化粧をし、目の周りには星を貼りつけていた。

参考画像:
▼バブル・ウィッグ(かつら)





サンディが我が家へ来るために、小道を上がってくるのを見かけた母さんは、舌打ちをした。

サンディは騒々しくて厚かましく、誰とでもキスをしていた。
「アロー、ディ、ラヴ。アゥライト、ジェリー」
僕は、彼女はロンドンの南東部すべてで、一番クールな女の子だと思った。


もし、僕がピンクの羊(浮いた存在)なら、リチャードは黒い羊(面汚し)だ。
嘘つきで、女たらしで、コソ泥で、父さんと母さんは、いつも深夜に警察に叩き起こされていた。
「なんてこと、神様。今度は何?」

リチャードと、その窃盗仲間は、エルタム・グリーン・スクールへ不法侵入し、募金箱を盗んだ。
そいつらは体育館に入り込み、フットボール(サッカー)をして、至る所に指紋を残していった。

結局リチャードは、拘留所へ送られた。


リチャードが、何かトラブルを起こした時はいつでも、おばあちゃんは休日に彼をバーミンガムへ連れて行き、服を買い与え、甘やかしていた。

そんな事をされて、残された僕たちは大いに混乱した。
このリチャードは法を犯したんだから、ゴロツキどもと手切れをさせ、罪に対し罰で報いなければならないのに。

リチャードと、その非行少年仲間のダニー・フーリハン、バリー・フォーリー、ピート・ミルバーンは、グラム族(グラムが好きな不良集団)で、サッカーの試合をするために、映画「時計仕掛けのオレンジ」に出てくるドルーグの格好をし、顔をアリス・クーパーのように銀色でペイントしていた。


▼参考画像「時計仕掛けのオレンジ」のドルーグ





▼参考画像アリス・クーパー





ルイシャム区にあるオデオン(訳注:劇場またはコンサート場)では、ポップ音楽のコンサートがしょっちゅう開催されており、リチャードは、そのほとんどに足しげく通っていた。

もし、チケットを買うお金が無かったら、非行仲間の誰かが代わりに買い、中から通用口を開けて招き入れていた。
僕も彼らに付いて行ったら、リチャードは僕に「消えろ」と言った。


中に入れない僕は、楽屋口の周りを友達のウェンディ・フォーリーとカレン・フットと一緒にうろついた。
その場所にいるほとんどは、女の子だった。

僕たちは、酔っぱらったロッド・スチュワートが、ジャック・ダニエルの瓶を振りかざしたまま運びこまれているのを見た。
恋人のベベ・ビュエルは、軽く叩きながら、群がったファンが通行を妨げないよう押しやっていた。

おかげで僕はコンサート会場に、無料で入れた。
舞台裏とは打って変わって、会場でのロッド・スチュワートは、燦然と輝いていた。


▼参考画像 ロッド・スチュワートとベベ・ビュエル





リチャードは、好きなポップスターを転々と乗り換えた。
あるときはボウイ、Tレックス、アリス・クーパーと。

誰かがリチャードに、ロッド・スチュワートに似ていると言ったものだから、自分でロッドと同じ髪型に変えていた。


リチャードは、何かと嗅ぎつける勘を持ち合わせていた。
そして、僕にとって初となるデヴィッド・ボウイのアルバム「世界を売った男」をくれたんだ。
僕は歌詞をすっかり、そらで言えるようになった。

ボウイは、これまでのアーティストとは一線を画していた。
僕は、ラジオから流れるポップ音楽のバンド、スウィートやスレイド、ウィザードが好きだったが、それとは違ったんだ。



He swallowed his pride, And puckered his lips. 
He showed me the leather belt, Round his hips.


彼のプライドを飲み込んで、唇をすぼめていた
そして、腰に回した革のベルトを見せた

訳注:デヴィッド・ボウイの曲「The Width of a Circle」
アルバム「世界を売った男」に収録


僕は「ジギー・スターダスト」と「スパイダース・フロム・マース」のコピーを買った。
それは、スウィートの「ウィッグ・ワム・バン」とは大きくかけ離れていた。



A cop knelt and kissed the feet of a priest, 
And a queer threw up at the sight of that.

オマワリがひざまづき、司祭の足にキスをした
それを目にした変態が嘔吐した

訳注:デヴィッド・ボウイの曲「5年間」
アルバム「ジギー・スターダスト」に収録。



ジギー・スターダストとスパイダース・フロム・マースが、1973年にルイシャム区に来た時、僕は走ってチケットを買いに行った。

僕たちと一緒にいたおばあちゃんは、ボウイのことを「大女」と言い捨て、僕を行かせるべきではない、母さんに向かって言った。

僕はおばあちゃんと大喧嘩した。

父さんは、今までの腹いせもあって、僕の味方になってくれた。
そして、僕にチケットを買うお金までくれたんだ。

僕はジギー・スターダストと同じ髪型にしようと、自分で頑張ってカットした。
それなのに、なぜか僕はスレイドのデイヴ・ヒルそっくりになってしまった。


▼参考画像:デイヴ・ヒル





リチャードは僕に、彼の持っているインディアン・パッチワークのジャケットを貸してくれた。
僕は荒く織った麻のシャツと、パンタロンと、それを合わせた。

僕は日中のほとんどを、ルイシャムの街をうろついて過ごし、徐々に混み合ってくるのを見ていた。

何百もの人が、ジギーとアンジーをそっくり真似していた。
(訳注:ジギーはデヴィッド・ボウイのこと。アンジーは、ボウイの最初の配偶者)

女の子は、フォックス・ファーのストールとピルボックス帽を、男の子は、グリッターのジャケットをみんな着ていた。


ステージ上のボウイは異彩を放ち、まったくの別格だった。
今まで経験した中で、これほど興奮したことはなかった。

ファンの波は押し合い、へし合いしながら歓声を上げていた。
「デヴィッド、デヴィッド、こっちよ、私よ、私、愛してるわ」

僕も叫んでいた。
みんな歌っていた。
僕は、全部の歌詞を知っていた。

「サフラゲット・シティ」「ジーン・ジニー」「ライフ・オン・マーズ」「5年間」など。

僕は、空っぽになったコーラの缶に向かって歌いながら、歩いて帰った。
こんなに感銘を受けたコンサートは今まで無かったよ。


リチャードは、僕たちをお菓子で釣ったり、10ペンスを握らせて、小間使いにした。
僕たちが周りをバタバタと使い走りをしていると、リチャードは、自分が大人になった気分になっていたようだ。

リチャードは、写真の受け取りに薬局まで僕を行かせた。
その薬局はベックナム区にあって、バスに乗らないと行けなかったんだけど。
(訳注:「薬局」は、日本のドラッグストアのようなもの)

ベックナム区のハードン・ホールには、ボウイが住んでいた。
僕はハードン・ホールへ行き、ファンと一緒に、外に立って過ごしていた。

アンジー・ボウイが窓を開け、僕たちに向かって「失せろ」と言った。
それを見て、僕は本当に幸せだった。


僕はその場にいたファンの中では一番若かった。
そして皆に混ざって、地元のウィンピー・バーに腰を下ろした。
(訳注:ウィンピー・バーとは、ハンバーガーや軽食があるチェーン店のカフェ)

他のファンは、何回ボウイを見たか、という話で盛り上がっていた。
僕はたったの1回だけ、でも、当然僕は嘘をついて、何回も見たかのように振舞った。

おしゃべりにも飽きてきて、ブライアン・イーノの家を探しに行こうという事になった。
イーノは、みんなが大好きなロキシー・ミュージックのメンバーで、一番のお洒落だった。


そうこうしているうちに、段々に日も暮れてきて、僕は心なしか不安になってきた。
僕のハードン・ホールでの一日は、リチャードから横っ面に一発食らうことで終わりを迎える。

僕が帰路に就いたのは夜の9時ごろだった。
リチャードと母さんは、気が狂ったように怒っていた。
きっと彼らには、外の誰かの家で、ぶらつくという楽しさが分からないんだ。


僕はボウイを見ることは出来なかったけれど、それは大して重要な事じゃなかった。
僕は、僕のような人たちがたくさんいることを知り、彼らと会ったんだ。
僕自身が何かの一部のような、一体感を感じていた。


第四章ここまで。






2019年3月23日土曜日

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第三章

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第三章


第三章は、ジョージ・オダウド少年が小学校へ入学します。
相変わらずのジョージ節です。




CHAPTER 3
第三章



僕は新品のパリッとした制服を、グレーでフランネルの半ズボンと、揃いのジャンパー、白いシャツ、学用ネクタイ、それと帽子をぐるぐる巻きにした。

他の子たちはそれぞれ、名札を自分の服に縫い付けていた。
なぜ、僕はそうじゃなかったのか不思議だ。
多分、母さんは僕の服をよそへ譲るつもりだったからだと思う。

それは僕の、ミドル・パーク小学校での最初の日のことだった。
クラスのみんな泣くか、叫んでいた。
そこには、鼻水を垂らした中国人の男の子がいた。

おかげで僕は、自分の瓶入り牛乳を飲めなかった。
だから、鼻をすすったり、鼻を出しているその子を、出来るだけ視界に入れないようにしたんだ。

その子は大抵、小学校では僕と同じクラスだった。
そして6歳になるまで、彼は鼻水を垂らしたままだった。


小学校の、最初の3年間は気楽なもので、絵を描いたり、砂場で遊んだりしていた。
先生は、いつも膝をすりむいたり、泣いている僕たちに、お母さんのように接してくれた
「まあ、みんな。今までで一番上手ね」


僕たちが長ズボンを履くくらいに進級する頃、物事は徐々に悪くなっていった。
僕の担任は、ずんぐりむっくりした女性で、唇が薄く、冗談の通じない、暴君から先生になったような人だった。

突然、僕たちは成長することと、急に態度を改める事を義務付けられた。
この、児童から生徒への変化は、まるでバケツで冷たい水を浴びせて朝起こされるかのようだった。

読み書き、算数。
こんな制度の急変に、成長途中の子どもは目を回した。

僕はまったく集中できなかった。
頭の周りに幾何学模様がくるくる回り、理解できなかったんだ。

未だに何だか分からないよ、どうでも良いけど。
分かったことは、ピタゴラスはベジタリアンだってこと。
直角三角形の斜辺は、神はご自身でお求めになる。


成績が落ちているのを理解しなかったにしても、僕は何も考えなかった。
学業の面では、僕はやる気がなかったんだ。
今だって、科学技術に対しては同じだし。
購入から5年経って、ようやく洗濯機の使い方を覚えただけ。
それがどう動くのか仕組みに没頭するよりも、床に放り投げてしまいたいよ。


僕は創造力があった。
芸術を愛し、英語や(文法ではなくて)、小説や詩を書いた。
もちろん、誰が教えても絶望的であっただろう科目がいくつかはあった。

そんな時は、そこで何かアイディアが無いだろうかと思いながら授業を受けていた。
嫌いな科目を僕たちに受けさせるのは無意味だといつも思っていたんだ。


僕は水泳でトップの賞を取り、チームのメンバーに選ばれた。
彼らがもっと真剣に取り組んで欲しいと僕に求めたとき、僕は逃げ出した。
選抜に勝ち残るだなんて、興味が無かったんだ。

もし君が、スポーツが得意だったなら、君は脳死状態になれるだろうし、そんな君をいっそう、学校は誇ってくれるだろう。
「もっと先へ、もっと前へ」


ミドル・パークの学校は、僕の家から歩いてたった3分の所にあった。
そのせいで、僕たちはいつも遅れて行った。
僕たちを起こして、ベッドから出すのは難題だ。

僕らは全員、朝が大っ嫌いだった。
くさい息と、むくんだ顔のまま、朝食のテーブルの周りでくだらないことで言い合いをしては、怒鳴りあっていた。

母さんは僕たちに、ポリッジ(訳注 オートミールのお粥)を作ってくれた:
いつも一貫してポリッジだったけれど、母さんの気分次第で変わることもあった。

僕はクリーミーでなめらかで、てっぺんに砂糖をたくさん振りかけてあるのが好きだった。
しょっちゅう、誰が最初に牛乳を使うかで奪い合いの喧嘩になっていた。

「母さん、母さん、牛乳がもう無いよ」
そのうち一人が、頭をベシッと叩いた。
「騒々しいったらないね、静かにおし。朝食を食べたら、学校に行くんだよ」


僕は学校にお弁当を持って行きたかった。
他の子たちみたいに、チーズのサンドウィッチと、チョコレートダイジェスティブが、タッパーの容器に入ったやつを。

母さんは、お弁当まで手が回らなかった。
学校給食は無料で「極めて適正」だった。

だから僕はお弁当の代わりに、ブロークン・ビスケットを詰め合わせた大きな袋を学校へ持って行ったが、それは送りで付き添っていた母さんを非常に悩ませた。

▼参考画像。
ブロークン・ビスケット。袋入りもある。


僕は学校に行く途中でおもらしをして、家に戻らなければならないのが、とても恥ずかしかった。


オダウド家は、ご近所だけでなく学校でも悪評が立てられていた。
先生は僕たちに目を付けていた。
長兄のリチャードの、普通ならざる経歴のおかげで、僕たちは何に対しても咎めたてることとなった。

母さんはいつも、学校に電話を掛けていた。
ある朝、ジェラルドとデヴィッドは全体集会のとき、みんなの前でムチで打たれたんだ。
僕は座って見ていなければならなかった。

母さんは校長先生のところへ勢い込んで来た。
校長先生は、母さんをなだめようとして「祖国を思い出してください」と言った。
(訳注:"Remember the Old Country"が原文。何を意味するのか?)

母さんは先生に言った。
「私の前で『祖国』と口にしないで下さい。もし、私が淑女でなかったら、このハンドバックであなたを打っているところですよ」


僕がクラスみんなの前で、ホッブス先生に対して「失せろ」と言ったときに、先生から平手打ちをされた。
余りにも強く打ったものだから、くっきり赤々とした手形が残った。

子どもの頃から、僕は敏感肌だった。
誰かが僕を軽く叩いただけで、たちまち「みみず腫れ」になってしまい、予想以上にひどく見えた。

ホッブス先生は泣き叫び始めた。
僕は先生に申し訳なく思ったけど、盛大にひと悶着起こす方を選んで、トイレに鍵をかけて閉じこもった。


オダウド家は、大家族で、結束の強いアイルランドの家族であると言われた。
僕ら家族を親密にした唯一のことは、スペースの欠如、つまり家が狭いことだった。
今まで一度も、まともな休暇を一緒に過ごしたことは無かった。

僕たちが海辺に行けば、決まって雨が降った。
僕は砂浜なんか大嫌いだ。
砂が服の中やサンドウィッチに遠慮なく入り込んで来るし。
お日さまも出てないのに、砂浜に座り込んでバカみたいだ。
僕はいつも誰かを探して、時間を無駄に過ごした。

僕たちはマーゲートにある、ドリームランド遊園地へ行った。
全部乗るための十分なお金が無かったから、乗り物に乗るには順番を待たなければならなかった。

訳注)2019年現在、まだ運営している。
▼マーゲートのドリームランドのホームページ
https://www.dreamland.co.uk/



乗り物に乗っている時、僕はおなかの辺りをぐるりと回転したので、ポケットのわずかなお小遣いをバンパー・カー(訳注:ぶつけあって遊ぶ電気自動車)に全部落としてしまった。


僕ら男の子は、常にお互いをしつこくからかっていた。
誰かは、やり過ぎていたくらいだ。
誰一人として、そっとしておくという度量を持ち合わせていなかったんだ。

僕は泣いて逃げていた。
僕を泣かせるのは、いとも簡単な事だった

僕はお前たちなんか大っ嫌いだ、と叫び、二度と戻って来るもんか、というつもりで逃げ出していた。
いつも大袈裟すぎるくらいに。

僕はずうっと、逃げる事ばかりを考えていた。
父さんと母さんが喧嘩をした時も、君はドアがバタン!と強く閉められたのを聞き、そして何時間も僕がいなくなっているのが分かるだろう。


父さんは僕たちをケント州のはずれにあるディールまで、釣りに連れて行ってくれた。
みんなバンにあらゆるものを詰め込み、我先に助手席に座ろうと喧嘩した。
助手席以外は、後ろの雑然と積み重なったガラクタと一緒にされた。

父さんは時々、歌を口ずさんでいて、誰も知らない、軽妙で古い歌だった。
父さんの歌は、心をくすぐるものだった。

そして窓から顔を出して「良いかい、愛しい人」と叫んでいた。
外で庭いじりをしていた老婦人が聞きつけ、顔を強張らせてこちらを見上げている。
それを見て僕たちは大いに笑った。

僕は釣りが本当に嫌いだった。
釣り糸を垂らしてすぐだったら、楽しいように思うんだけど、僕はすぐに飽きて、帰りたい、とぐちぐち不平をこぼした。
僕は父さんのバンの助手席にだらしなく座り、ダッシュボードに足を載せ、腕を組んではふくれっ面をしていた。


僕が6歳の頃、ケヴィンと僕はバースにいる家族のもとで滞在するために、送られた。
グリニッジ自治区協議会は、恵まれない子供たちへ休日の機会を与えるべく、施策を立てたのだった。

母さんは僕たちを疎開者のような格好をさせた。
ショートパンツに長靴下、ネクタイとキャップ帽子、海軍のマッキントッシュ(濃紺のコート)の襟の折り返しには、住所が書いた下げ札が結び付けられていた。

電車がホームに来ても、まだ母さんは手につばを付けて、僕たちの顔の汚れを拭っていた。
母さんが望んでいるのは、僕たちが良い家庭で育っている子だと人々に知ってもらう事だ。

僕たちは驚きと好奇心に満ちて、バースにほど近い、バスフォードに付いた。
僕とケヴィンが滞在していたのは大邸宅で、チューダー様式の木造の梁があり、ツタに覆われている家だった。

▼参考画像
チューダー様式の家と、木造の梁





そこは焼きたてのパンの香りと、牛糞のにおいを漂わせていた。
車の騒音は一切聞こえなかった。
上流階級の家族だったけども素敵だった。

その家庭には4人の実子がおり、男の子が2人と女の子の2人だった。
子どもたちは揃って礼儀正しく、甘やかされていなかった。
彼らは奪い合いにならず、何でも分け合っていた。

バースで僕は幸せに過ごしたけれど、もう行きたく無いな。
僕は自分のみすぼらしさを恥ずかしく思ったし、彼らに好かれていないんじゃないかと心配していたんだ。

みんなでピクニックと日帰り旅行で、城址へ行った。
彼らは僕たちにハチミツのサンドウィッチを作ってくれて、僕とケヴィンは、それが酷い味だと思いつつも、礼儀正しく、ゆっくりと食べた。

4人の子どもたちは、僕らと変わらない年齢だったにも関わらず、彼らの両親は自分の子に対して、大人であるかのような話し方をしていた。
それってヘンだよね。
僕は、なぜ同じような家族が持てないのか、不思議に思った。
僕たちはその後、2、3回くらい滞在していたけれど、僕は自分の家に帰るのが楽しみだった。


ある年は、僕たちは子供のいない老夫婦の家に滞在することになった。
老夫婦の夫は、ダーツボードの修理を仕事にしていた。
彼は、よく僕たちを田舎まで引っ張り回し、パブ(大衆酒場)からパブへ、彼が仕事に取り掛かるのと、一杯引っ掛けている時は、僕たちをバンに残したままにしていた。

彼らは僕たちを怒鳴りつけ、早いうちにベッドに入らせた。
ただ一つだけ良かったのは、奥さんのマカロニチーズと、夜遅くに食べるおやつだった。
夫はケヴィンを平手打ちにして、ケヴィンは逃げ出した。
僕は怯えて泣いていた。

僕たちは二人とも、家に帰りたいと願っていた。
最後にはようやく、他の家族のもとへ送られることになった。


別のかたちで行くこともあった。
ケヴィンとリチャード、それと僕で、ウィルトシャーにある農場へ行ったんだ。
僕たちをお世話する夫婦は、典型的なヒッピーだった。
夫はあごひげをはやして、ギターを弾き、コーデュロイのズボンをはき、奥さん方のは「ニュー・シーカーズ」の一人に似ていた。

▼参考画像「ニュー・シーカーズ」
1969年のイギリスの音楽バンド





彼らは農家の、改装した屋根に住んでいた。
大きな金属のらせん階段があって、屋根まで上がるには、その階段をよじ登らないといけなかった。
僕は落ちるんじゃないかと怖くてたまらなかった。
だから、僕が外に出るときはいつも誰かと一緒じゃなきゃダメだったんだ。

彼らに子どもはいなかったから、屋根の下に住んでいる、農家の子どもたちと一緒に遊んだ。
僕たちは乳しぼりを見るために6時に起き、そして仔牛が生まれるのを見た。

これらの休暇は、僕の人生において特別なひとときとなったんだ。



第三章ここまで