2018年12月9日日曜日

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第二章

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第二章


第二章は、ボーイの子ども時代の生活環境です。
11ページあって、長いですよ。

2つに分けてブログに載せようかと思いましたが、自分が読む時に面倒なので、1ページにまとめました。


第一章、チャプター1はこちら




CHAPTER 2
第二章

人が生まれながらに持っている性質や、あるいは何に夢中になるか、そして、なぜそうなるのかを見極めるのは不可能だ。
母さんが言うには、僕はとても静かな子どもで、ちょこんと座ってはひとり遊びを楽しんでいた。


時々、僕は鮮明に過去の事を思い出す。
ボーイスカウト隊のアケーラ(※隊長)だった日々を。

「ベストを尽くせ」を合言葉に、みんなで頑張った。
そして、名誉ある銅賞、銀賞、金賞を授かったんだ。

僕たちは遠くて広大な地元の野原に出掛け、週末は自宅から3分の所でテントを張って過ごし、ソーセージを料理したり、縄目を結んだりした。


アイルランドにいる、フィリスおばさんと、アニーおばさん、フランクおじさんの所へ遊びに行くときは、船の中で4時間、ずっと吐きっぱなしだった。

おかげで、フランクおじさんが持っている「ニュース・オブ・ザ・ワールド」(※小説)を読むことが出来なかった。
「お前に見せるために持って来たんじゃないぞ」


ほかに僕が覚えているのは、ヘザーおばさんの家でやった誕生パーティのことや、ダンソン・パークにあるプールへ落とされたこと、
ピンポンダッシュして遊んでいたこと、フーリハンの飼っている犬が怖かったこと、
友達のモイナ・ケーンズを手伝って、100年は積もったであろう彼女の部屋のホコリをすっかり掃除したこと、自分の自転車から落ちたこと、
それから、弟のジェラルドが失明してしまった時に、僕たちが色々考えた日のこと。


ジェラルドはその日、疲れ果てて芝生のところで雲を見上げていた。
突然、彼は動かなくなった、まるで死体みたいに。

誰かが叫びながら、母さんの所へ駆けて行った。
僕たちは怖くて仕方がなかった。
彼は高熱とけいれんを起こしており、すぐさま病院へ担ぎ込まれた。

母さんが僕たちに話したのは、動いているときや、顔をしかめているときは、雲を見てはいけないということ。
きっと母さんも含めたみんな、この状況に行き詰まっていたんだ。

未だに僕は、あの時見た、流れて行く雲を思い出す。


僕たちは冷たいリノリウム(※床の仕上げ材)の床を、エイジャックと一緒にゴシゴシ磨いて掃除した。
家にそろっているものは、全てが最小限だった。
部屋の大きさに足りない小さなカーペットを敷いて、ソファーみたいなダブルサイズのベッドを置き、おばあちゃんの花柄のカバーを掛けた、いかにも座り心地の悪そうな椅子が2脚。
それは、どうやっても心地よく座ることは出来ないものだった。


あとは、宇宙人との交信を彷彿させる、映りの悪い白黒テレビ。
父さんはいつもテレビをぶっ叩いていた。
「使えんガラクタめ」


家には石炭で熾した火があって、誰かが落ちないようにワイヤーメッシュの囲いがしてあった。
一度、ケヴィンが父さんの給料袋を、火の中にくべたことがあった。
父さんはケヴィンを、罰としてさんざん叩いた。


テレビが見られるのは、8時までだった。
僕は盛大に不機嫌になったけど、父さんがベッドに連れて行こうとするときは、誰も父さんから逃れることは出来なかった。

ベッドに入った後も、僕は起きあがって、階段の上からこっそり忍び寄った。
今思えば、まったく無意味な行動だよ。
実際、テレビを見ることが出来るはずがないのだから。
僕は何かに駆り立てられていたんだ。
まあ、正しい事や、最善の方法というのは後になって分かるものさ。


日々の生活は、そのまま流れていくように見えたが、出産のたびにいちいち中断された。
1967年までに、僕は2人の弟ジェラルドと、デイヴィッド、妹のシオバンがいて、子どもたちが、母さんの生涯にわたるエネルギー源となっていた。


僕の家、ジョアン・クレセント29番地は、しばらくは王宮のようだったが、まもなく醒める日が来る。
初めこそ、かなり大きな家でも、けたたましく叫ぶ子供たちがどんどん増え、今や人口は過密な状態になった。

誰もが自分のスペースを欲しがったが、それを訴えても、その辺の窓にぶらさがっていろ、と言われただけだった。


階段の上の3つの狭い寝室を、不均等に8人の家族で分けていた。
両親が一番広い部屋に、デイヴィッドとシオバンがもう一つの部屋を共有した。

3つのうち、残された部屋に僕たちが押し込まれ、4人の男の子は常に緊張状態で、精神を損なう状況で成長していた。
僕たちは部屋でいつも一緒で、激しくケンカして泣いたり、プライバシーの欠如に、それぞれが屈辱を覚えていた。


父さんは動物を飼うのに熱を上げた。
家の裏庭には13羽かそれ以上の鶏と、1羽のやたらかわいくない若い雄鶏がいた。
それから、ジャーマン・シェパード犬のルイスがいて、気の荒い友達で、仇でもあったけど、ルイスがする事はしょっちゅう許されていた。

当然のことながら、この動物たちは近所から不評を買った。
特に鶏の多さに、腹に据えかねていた。


僕たち家族が引っ越してきたとき、父さんは最初に庭を掘り起こし、じゃがいものタネを植え、みんなを動揺させた。
近くに住むボールドウィンさんは、あっけにとられていた。

庭は「完璧」で、青々と、花壇からはみ出して生い茂った芝生に覆い囲まれ、田舎暮らしに夢描いた水田は、すっかりダメになった。


僕たちの庭は、父さんがどこかで見つけてきた色んな家具のパーツや、錆びた車の部品の中で、鶏が奇声をあげながら走り回る、小型の冒険広場のようだった。
その全部に価値があり、そのまま置いておいた。

父さんが酔っぱらって事故を起こして廃車になり、解体されたベッドフォードのバンでさえ、庭の前に積んだレンガの上に立てかけてあったが、父さんはよく、それを道具として納屋に持ち込んだ。

何かにつけ、ご近所を驚かせた。
僕は内心で、これらはなんとカラフルだったことかと思っていた。


隅っこに使えそうな場所があれば、小さくなって着れなくなった服を積み重ね、大家族なだけに洗濯機は24時間、ひっきりなしに唸りをあげていた。

母さんはどこから見ても、漫画に出てくる専業主婦だった。


She always hangs out her washing
To dry in the hands of the sun.
She always hangs out her washing
If there ain't any she'll find some.


※Sarah Jane Morrisの歌




彼女はいつも洗濯をして
手でそれを干している

彼女はいつも洗濯をしているが
その姿ばかりを目にしている


明けても暮れても、同じことの繰り返し。
母さんが洗濯をしてないときは、料理をしていた。
そして料理をしてないときは、買い物に出ていた。

彼女はその役割に甘んじ、従順にこなして、決して自分だけのために時間を取ることは無かった。
一人の子を置けば、他の子を抱き上げる。
母さんは、父さんの家の中での権威について、疑うこともなかった。

彼女は純然たる「妻」だったんだ。
どんな状況が来たとしても、父さんは女の居場所は台所だと、決して言ったわけじゃない。
母さんが言うには、一般的にそういうもの、だそう。

母さんは、「チャーリーとチョコレート工場」や、「ワット・ケイティー・ディド」「若草物語」のような本を、僕たちに読む時間を作ろうとしていた。
そりゃあ、どだい無理なことだ。

ジャガイモの皮をむいたり、グレイビーソースを作る時間の間に、本を読んで聞かせる十分な時間など無かった。
実用性があるものは、常に優先順位が高いから。


母さんは貧しい生い立ちだった。
父親は箱を作る仕事をして、母親は家事だけでなく、家具の修繕の仕事をしていた。

母さんの家族は、ダブリンにある、ウェリントン通りのジョージアン・ハウスの最上階を改装した、高天井の2部屋に住んでいた。
トイレは4つほど階段を下りて、次の踊り場に設けてあった。

母さんが長男のリチャードを妊娠した時は、3人の姉妹で1つのベッドを共有していた。
姉妹が母さんの体調に気が付かなかったのは、理解するには幼かったんだ。
リチャードが生まれた時、ダイナが生んだのではなく、自分たちに兄弟が出来たと思ったほどだ。


母さんは、アイルランドでの家庭生活を描いたロマンチックな絵を持っている。
僕の祖父フランコはもちろん暖かい人物で、赤ら顔で酔っぱらった表情が魅力だった。

僕の祖父母がクリスマスに来た時、祖父フランコは、僕ら子どもたちと一つの遊びをしようとした。
― 複雑な形の粘土細工を使って、物語を聞かせてくれること。


僕にはフランコに嫌な思い出がある。
それは、彼がオダウド農場の庭にいる、生きている鶏を絞めて、内臓を抜いたこと。
全体像としての彼は愛すべき人物で、高くて筋が通り、ピクルスのような鼻をしていた。
彼は詩人で、看護婦のストライキや、州政府の人々について詩を書いていた。



百万もの看護婦が毎日
豆の缶を手に取って言う
ひとつはあなたへ、ひとつは自分へ
ひとつはあなたへ、ひとつは自分へ。

この国は、犬になるつもりだ
彼らは水田と黒人を非難する
だが、彼らはこれがうまくいかないと分かっている
歯車は噛み合わないだろう



グリンばあちゃんは逞しい女性で、短くてモップみたく茶色いカールした髪と、厳格な面持ちに、腕組みをし、細い目をしていた。
彼女は、鮮やかな花柄でポリエステルのドレス、実用的なコート、同じく実用的な靴と、サラダボウルのような帽子をかぶっていた。

僕たちが彼女の足元にいると、濡れたフランネルの布でピシャリと打った。
僕はいつも彼女の手から逃れていた。
「ええい、その頭を叩き割ってやるよ」


グリンばあちゃんは、考えうる限り最悪なカトリック教会の伝統で学び育った。
無知と恐怖という伝統の中で。

女子修道院で育ち、自身の不道徳な女性らしさから身を守るために、すっぽり身体を服で覆ったまま入浴することを強制された。

彼女の人生は、意図的に作られた茨の道となった。
伝統が、苦痛と罪の遺産を創り出したんだ。


グリンばあちゃんは愛情に満ち溢れていたが、もし僕たち子どもが泣いたら、ひどく厳しい態度をとった。
「泣くな、大ばか者。庭に立ちなさい、干し草の嫌なにおいがするだろ、ええ?」

いつも神の御名を呼んでいる。
「主よ、マリアとヨセフ、御身と共にまします。」
僕はひどい方法で彼女を愛したが、彼女は僕の人生で最も手ごわい女性だった。


父さんは、ばあちゃんに絶対に近づこうとしなかった。
彼女の滞在の最後は、いつも涙で締めくくった。
「その女を家の外に出せ」


我々子どもたちは、全てのことに気付かず、どうせ忘れるものだと思われている。
でも、僕らは幼いながらも何が起きているか、全貌を把握していた。
ばあちゃんは、リチャードを溺愛しているのが見て取れた。

僕らは、何を言われているのか聞こえていた。
父さんは、ばあちゃんを「ナギー・マギー(怒りっぽく、うっとおしい)」と呼んでいたんだ。
時々、父さんは母さんをわざと怒らせるために、ばあちゃんと同じように「マギー(うっとおしい)」と呼んだ。


ばあちゃんと父さんの間に諍いが勃発した時、母さんはいつも板挟みになった。
彼女は両者いずれも宥めることは出来なかった。

二人の争いは、怒りがさらなる怒りを呼ぶケンカだった。
父さんはリチャードは我が息子だとし、ばあちゃんの執着と余計なお世話は要らないと言った。
ばあちゃんはリチャードは自分の息子とみなし、母さんと父さんの口論に、干渉してきた。

ばあちゃんは父さんに警告した。
リチャードを大事にするか、そうでなければ、アイルランドへ連れて行って、父さんから引き離す、と。
父さんはうちだけに拘るんじゃなくて、他の叔父やいとこのところでやってくれ、と言った。


父さんは昼も夜も働いた。
彼は、暖かい服や食事が、愛情や優しさの代わりになると愚直にも信じていたからだ。
彼の持つ愛情は、瓶に詰めてあり、薬棚に保管し、「お子様の手の届かないところにおいて下さい」とラベルを貼っているかのようだった。

愛情の類は距離を取って感じにくくしてしまうと、良さも分からないし、感謝もできない。
僕たちは決して飢えることは無かったが、時に優しく抱きしめることは、温かい食事よりも充分な心の栄養となる。

僕は父さんが目を向けてくれるのを、長い間欲していたけど、どうしても得られなかった。
父さんと色んな話をしたくても叶わなかったんだ。

僕はがっかりし、父さんは僕が嫌いなんだと自分を納得させ、父さんの言う事を聞かなくなった。
僕は父さんを愛し、かつ嫌悪し、憎み、かつ尊重し、喧嘩をしては嘆き、仲良くなりたくてたまらなかったんだ。


彼はいつも、自分が悪いところは頑固にはねつけ中々みとめないのに、他人の悪いことを耳にすれば、過度に怒り、攻撃的で、間違った人々には容赦なく、感情をありったけぶつけた。

僕が子どもの頃はずっと、父さんのようには絶対なるまい、と固く誓っていた。
僕は自分自身に言い聞かせた「もし誰がどんな振る舞いをしても、ああはなりたくない」と。

父さんがあんなに怒る意味が分からなかった。
僕がまだ幼いときは、その理由や起因は何なのか見当もつかなかった。

父さんは自分が子どもの頃のことは話そうともしなかった。
辛うじて分かっているのは、父方の祖父母のマーガレットとジョージについて。

僕は色あせて、ボロボロになった写真を見たことがある。
マーガレットがエプロンを着て(裏庭で、父さんの姉妹ポーリーン、メイ、ジョセフィンもいる)、いたずらっぽくニッコリと笑い、顔には苦労をうかがわせるしわが刻まれていた。

マーガレットは逞しい女性で、既婚の女性はお屋敷で女中を勤めるのが普通だった時代に、彼女はズボンをはき、ビールをガブ飲みしていた。

若い時のマーガレットは美しい女性だった。
その相貌は、父さんとジョセフィンが受け継いでいる。


父さんは自分の家族から疎外感を感じていた。
父さんと、彼の兄弟デイヴィは、ほとんど自分の力だけで生き抜くことを余儀なくされ、野犬のように普段から足蹴にされていた。

彼の家族には定義づけられた役割があった 
― 男の子は、男の子。わんぱくであれ。

父さん兄弟に、初めこそ出ていた不平や悲鳴、言いたいことは、時間が経つほどに口数が少なくなり、やがて、何でも自分の中に留めておくようになった。
何であれ、自分の弱さを晒してしまうのが「罪」だとされたんだ。


父さんは、たとえ往来であろうと、ウーリッジだろうと、軍隊にいようと、問題はこぶしで解決するものだと学習していた。
攻撃は最善の防御だったんだ。

彼は毎晩帰宅すれば、まっすぐテレビの前のお気に入りの椅子に向かい、新聞へのめり込んだ。
彼は、この晩のひとときを「自分の時間」と呼んでいた。

僕らが騒ぐと、静かにさせて言った。
「お前達は一日中、騒いでいただろう」

俺の時間だ。
これがどれほど重苦しい空気だったかは、想像を超えている。

「父さん、ねえ今日さ、カエル捕まえたんだ」
「シー!お前、今は俺の時間だ」

彼は「自分の時間」だけが、家族と一緒に過ごせる唯一のチャンスだったことに気が付いていなかった。
いつも僕たちを黙らせようと、怒鳴りつけた。

そして母さんを大声で呼び
「なんで子どもらをベッドにやらないのか?」
「あなたの子じゃないの」

母さんはいつも、この家の騒音について責任を負っていた。

「頼むから、子どもたちを黙らせてくれないか」
「あなたがベッドを整えて、今すぐ横になったら」
「今日は、仕事でめちゃくちゃ疲れてるんだよ」
「あら、そう。私はハロッズへ買い物に行ったわ」

母さんの返答は、いつも早くてトゲがあった。
彼女は父さんを、狂ったように完全に怒らせ、家具の一部を手につかむまで挑発した。

ガシャン!

何かが部屋の中を飛び交い、そうこうする間に、いくつかの物が破壊されていく。
父さんはあらん限りの声を張り上げて罵った。
「お前たちはみんな厄介者だ、くそっ!
お前なんか誰からも相手にされるものか!」

母さんは父さんが癇癪を起こしたときは、いつもキッチンか寝室に逃げ込んだ。
それから目を真っ赤にして10分後に現れる。
まるで何事もなかったかのように。
「ねえ、お茶でもいかが?あなた」
「いや、自分で淹れる」

緑色をした大きなエナメルのポットは、常にストーブの上でシュンシュンと蒸気を上げていた。
父さんは、お湯を入れて時間を置くのではなく、ゆっくり煮たお茶が好きで、母さんはそれを『インディアン・ファイヤウォーター』と呼んだ。

父さんが仕事から帰ったら、一通りの儀式があった。
お茶、チーズと玉ねぎのサンドウィッチ、それとお茶のおかわり。

もし読者諸君が、お気に入りのテレビ番組を見ている時が我が家だったら。気の毒なことになる。

父さんはドアから入ったら、誰しもが自分に従うだろうと、彼は決めてかかっていた。
「せがれ、お茶を入れろ。ハンカチを皆に持ってこい」

僕らはみんな、この言いつけを嫌がった。
そうすると、誰かを選んでやらせようとした。

「ケヴィンはどうだ、出来ないか?」
「気にするな、何でもない」

父さんは言う。
「お前はそのままでいろ」

僕の家では、食べたものより、放り投げた食べ物のほうが多かった。
父さんは、芝居がかった大きな身振りが好きで、彼の背中が目に入ったときには既に、トレーに乗った食べ物は空中を舞い、灰皿はひっくり返り、彼は怖がって部屋の外に飛び出した子ども一人をとっつかまえに行った。

30分後、君の肩には父さんの腕が巻かれている。
「大丈夫だ、せがれ、もう大丈夫」

僕は、なぜ父さんがあんなに怒って攻撃的になったのか、まったく理解できなかった。
彼は何かにつけ、このような対処をした。

こんなことは間違っているんだ。
いつも父さんを止めない母さんが嫌いだった。
もし、君が本当に何か悪いことをしたのならば、我が家と違って、君は強制的に上の階へ連れていかれるのだろう。
僕は家が揺れるほど泣き叫んでいた。


父さんの夢は、家族の誰かがボクサーになる事だった。
ボクシングはオダウド家の血筋だ。
父さんの大おじ、ミック・オダウドは、1918年から1922年のミドル級世界チャンピオンだった。


▼※画像を見つけました。



登録名は「マイク・オダウド」、国籍はアメリカです。


曾祖父の兄弟、ジョージはプロボクサーだ。
父さんは僕たちに、自分の身は自分で守れるようになってもらいたがった。

「ほら、そこで耐えろ」
彼は一緒にスパーリング出来るよう、ボクシングのグローブを2セット、家に持ち込んだ。
僕は関わらないようにしていた。

父さんはエルタムのサウスエンド・クレセントにある近くのボクシングクラブへ僕たちを連れて行った。
僕はちょこっと、スキップしたり、ジャンプしたり、サンドバッグを叩いたりした。
でも、リングに上がるのはすごく怖かったし、人目が気になって恥ずかしかった。

ジェラルドがボクシングではトップだった。
彼は父さんと同じむっつりした面持ちで、誰が見ても、ジェラルドは父さんに似ていた。
僕たち家族はみんな、ジェラルドはボクシングが好きなんだと思った。
彼は嫌っていたのに。
彼はずっと父さんが喜ぶ役割を演じていたんだ。


父さんは毎朝、機嫌が最悪だった。
彼はベッドの外で大噴火を起こしながら、母さんに清潔な靴下と下着を持ってくるように怒鳴っていた。

「そいつはベッド脇で積み重なっていた洗濯物の山から出したんだろ」
「いいえ、ちがうわ」

母さんは階段の上をさっと払うと、新しくアイロンをかけたパンツを引っぱり出した。
「次は探してみて」

彼のように、多くの男は家庭を切り盛りするのも重労働だと分かっていない。
彼が以前、絵に描いたのは、積み重なったシルクのクッションを周りに置いて横たわる母さんの姿だけど、そんな母さんを僕は想像するのに苦しい。

でも、父さんは母さんがいかに身を粉にして働いているのか、未だに見当もついてなかった。
彼女は大変な仕事を抱えていた
― 専業主婦、母親、それと感情をぶつける捌け口に。

僕が学校から帰って来た時、牛乳瓶がまだ玄関先に置いてあったなら、母さんの気分が分かる。
時々、彼女の悲痛な気持ちがこの家を包み込んだ。
正面玄関のドアをくぐれば、家族以外の人にだって、すぐ感じられるものだった。
彼女は部屋着をを羽織り、室内履きをつっかけ、表情には重たい感情がにじみ出ていた。


母さんと父さんが言い争っているほとんどの内容は、無意味でくだらないものだった。
父さんは、すぐカッとなったが、同時に醒めるのも早かった。
対照的に、母さんは物事に執着していた。

彼女は言った。
「みんな、あなたが愛する人を傷つけていると言っているわ。
でも、みんなの方が間違っている」
僕は自分の主張をもたない母さんに対し腹が立った。


母さんが最初に車の運転を習うとき、彼女はきちんと盛装していった。
父さんは嫉妬に狂って、インストラクターをこの辺りから出るまで、執拗に付け回したことがある。
おそらく父さんは、これでもう母さんは父さんを追い払い、彼の元から離れていってしまうと考えただろう。
時たま、僕は母さんがなぜそうしなかったのか不思議に思った。

僕は母さんにしょっちゅう言った。
「父さんに、今みたいに母さんを扱うのをやめさせてよ」
すると彼女は僕に怒った。
「お前ね、口が過ぎるんじゃないの」


口喧嘩の大半は、お金に関することと、お金が足りないことだ。
母さんと父さんは、社会的な地位や出世を望もうとしなかった。

彼らは単に、ちゃんと食べたかを確かめたり、シラミがつかないように、子どもの衣食を整える義務を果たそうとするだけだった。

よその子たちは、フィッシュアンドチップスの売店に行き、買ったばかりの小さな包みを外で食べることが許されたが、彼らの両親は、家から子どもたちが出て行ったことだけをひたすら喜んでいた。

僕たちは、外ではなく家で食べた。
そして、ちゃんとしたものを食べる。
「ジャンク」ではなく。

お皿の上に少し食べ物を残しておくと、神の御恵みがあるそうだ。
「自分の分はしっかり食べろ。インドでは食べたくても食べられない子だっているんだぞ」
僕は父さんに、こう質問したい誘惑にかられる。
「じゃあさ、父さん。その子の名前を一人でも言ってみてよ」
そんな事言えるわけもなく、僕はただ黙々とお皿の上を片付けていった。

よその子が家に帰ると、古くて質素なバター付きのパンだけが待っていると聞かされていた。
母さんは口癖のように言った。
「うちの台所は、床に落ちたものでも食べられるほどきれいなのよ」
そんな事で喜ぶのは、犬だけだよね。


僕の家はきれいで、毎日上から下まで掃除が行き届いていた。
母さんがこれほど掃除を頑張った理由のひとつには、父さんが仕事を家に持ち帰ってきているからだ。

我が家は建築家の楽園で、廊下をシャベルと梯子が塞ぎ、寝室の壁には木材がつっかえにしてあり、まだ新しい塗料の缶や、セメントの袋が置いてあった。
母さんは散らかるのを嫌がった。
彼女が求めたのは、自慢できる家だった。
「いいえ、これは芸術作品では無く、夫の仕事道具です」

彼女はしょっちゅう、家具の配置を換えた。
おかげで、部屋にスペースがあるかのような錯覚に陥った。
寝室も配置替えをした。
おおよそ12フィート(約3.7㎡)の広さの四角い部屋に、シングルベッドが1台、子ども用2段ベッドが2つ、置けるものは限られていた。

僕はお手伝いをしたが、おおかた邪魔者になって、僕は躍起になって掃除した。
僕はいつもお客さんの周りを掃除機かけて、まだ使い終わっていない灰皿をきれいにした。
母さんは怒ってピシャリと言った。
「やめなさい、失礼でしょ」


母さんが食事の準備を終え、さあ食べようというところで、父さんは雑談を始めた。
父さんは、誰かの家の下水道にある障害物をどうやって取り除いたかを、微に入り細にわたって話し始めた。

「そりゃあ、ものすごい悪臭でね。その臭いといったらウ…」
「もう充分よ、ジェリー。私は今、夕飯を食べようとしているのよ。
そんなに仕事熱心なら、家の外を掃除するのが一番ね。
45番あたりから始めたら良いわ」


「45番」は、ケーンズが住んでいるところだ。
だらしないアイルランド人の家族で、怪しげな寝たきりの父親が、リビングの隅っこで眠っていた。
ケ―ンズ家の子で、モイナと弟のリーは、僕たちを同じ学校へ通っていた。

モイナは僕の友達だ。
日曜日には、よく彼女の寝室に座ってヒットチャートを上から順に聴いていた。
僕たちがうるさくして、外へ放り出されたときには、通りを歩きながら二人でトランジスタラジオをイヤホンで聴いていた。

モイナは見るからにアイルランド人で、そばかすがあり、髪がふさふさだった。
彼女は苦しい生活を送っており、いつも父親のためにお店へ使い走りをしたり、買い物をしていた。

モイナはちょっと悲しそうで、そこに僕は引き寄せられた。
僕の兄弟はしょっちゅう僕を冷やかした。
「モイナ・ケーンズは彼女なんだろ。モイナ・ケーンズと付き合ってるんだ」
僕は決まってこう言った。
「で、だから何?」

だけど、妹のシオバンがリーと一緒に外出しているなんて言ったら、シオバンは僕のように流したりせずに、悲鳴をあげただろう。

悪口は、日常的な通過儀礼だった。

弟のジェラルドは「パキ(パキスタン人)」もしくは「ジャム瓶の裏」
なぜなら、彼は肌の色が黒かったから。

デイヴィッドは「ダンボ」か「フラッパー(羽ばたき)」、耳が大きかったから。
ケヴィンは眼鏡をかけていたから、「ブレインズ(頭脳)」と呼ばれた。

リチャードは「赤毛」か「にきび」。
シオバンは「うんちのケツ」
そして僕は「女」か、他の似たようなホモっぽい名前なら何でも、遊び場では広まっていた。


ヒギンズ家のジミーおじさんと、ヘザーおばさんは近所の27番に住んでいて、二人は父さんと母さんにとって大親友だった。
僕たちは血縁関係に無いのに、「おじさん」「おばさん」と呼んだ。
ヒギンズ家の子ども、デニス、ジミー、それからショーンは、僕たちのいとこだと言っていた。

お互いの誕生パーティには呼び合い、家族だけで挙げる結婚式へ出るため、おばあちゃんと一緒にバーミンガムへ滞在もした。

デニスと僕はいつも一緒だった。
その辺を手をつないで走り回ったり、玄関前の階段で踊ったり。

ジミーおじさんは商船の船員で、世界中から宝物を持ち帰り、アメリカからはビートルズのカツラとポスターを、シンガポールからは面白いぜんまい式のおもちゃを持ってきた。


おじさんはドリンクバーを持っていて、自慢の種にしていた。
外国の珍しい酒瓶を揃え、鮮やかな赤いサクランボの瓶詰めが並び、銀色のソーダサイフォンが置いてあった。

クリスマスには風変りなボトルのシェリー酒を、母さんのスノーボール(カクテルの名前)を作るのに、ワニンクス・アドヴォカート(卵のリキュール)を、僕たちの家では決して飲めないものばかりだった。

日曜日に母さんが買い物へ行っている間、ヘザーおばさんには僕たちの面倒を見てもらっていた。
おばさんは、揚げたスパムとフレンチフライ、卵と豆で料理を作ってくれた。
僕は家で食べるシチューより、こっちの方が好きだった。

母さんは言った。
「食べてしまえば、入るおなかは同じよ」


僕は、バーズアイ社のフィッシュ・フィンガーとフィンダス社のハンバーガーのような加工食品が好きだった。


※参考画像

▼バーズアイのフィッシュ・フィンガ―



▼フィンダスのハンバーガー


※いずれも冷凍食品です。


父さんは料理が上手だった。

父さんは、なかなか台所へ入ろうとはしなかったけれど、作ってくれるローストディナーはロンドンのサウス・イーストでは一番だよ。
彼のバブル・アンド・スクイーク(ローストディナーの残りを野菜と炒めて作るイギリス料理)は伝説的なほどだ。

父さんは最高のイングリッシュ・フライド・ブレックファストを日曜の朝に作った。


※参考画像

▼フライド・ブレックファスト、通称「フライ・アップ」
毎日ではなく、たまに食べる高カロリーな朝食を指します。




母さんは、父さんが台所へ入るのを嫌がった。
母さんが言うには、父さんが卵を茹でるだけなのにポットで100杯もお湯を沸かすから、だそうだ。

一度だけ、父さんはおいしいカレーを作ってくれた。
そして、僕たちが皆で夢中で食べている間、それはペットで飼っていた若い雄鶏だと披露してきた。
皆、気分が悪くなってしまった。


ヘザーおばさんと、ジミーおじさんがチャールトンへ引っ越した時、売春婦のパムが、彼女の知恵遅れの兄弟ブレインと一緒に越してきた。
ブレインは、よく子どもたちを驚かせたから、僕らは彼を「カジモド」と呼んだ。
僕たちは、彼のどこに問題があったのか分からなかった。

※訳注
カジモド:ディズニーアニメ映画「ノートルダムの鐘」に出てくる鐘撞き男のこと。


この辺りの人はみんな、パムは売春婦だと思っていた。
彼女の家に、いつも男が出入りしていたからだ。
「汚らわしい淫売」

パムは、まだ幼い二人の子供がいた。
みんな、夜になると彼女の寝室の窓に人影が映るのをじっと見て、中で何をやっているのか、勝手に内輪だけで話を作っていた。


ある夜、パムの家が火事を起こして燃え上がっていた。
ちょうど、父さんが仕事から帰って来ていて、父さんは悲鳴と、走り回り、助けを呼ぶ声を聞きつけた。

彼がパムの家のドアを蹴破ると、居間でパムと、数ある恋仲の男のうち一人が精を出していた。
彼はズボンを引き上げ、猟犬のグレーハウンドのごとく駆け出して、あっという間にその辺で姿を消した。

蹴ったり叫び声をあげる半裸のパムを、父さんは引きずり出した。
彼女は、二階に置いてある本を持ち出そうとしていて、父さんをありとあらゆる言葉で罵った。

彼女の二人の子どもはまだ寝室に残されていたが、父さんはどうにかこうにか、子どもたちを外へ出すことが出来た。


31番にはドラキュラが住んでいた。
彼女は本物のホラーで、午前三時に皆を起こし、タクシードライバーと喧嘩していた。
「盗人どもが束になりやがって、むかっ腹が立つ」

窓からぶら下がり、警察へ向かって絶叫し、さらにスティレット(細い短剣)を振り回した。
彼女はマイクロミニ丈の服を着て、けばけばしい売春婦の化粧をしていた。
後ろから見れば、彼女は十代のように見えた。

労働者たちは、道行く彼女へ口笛を鳴らしたが、彼女が振り返ると、作業用の足場から落ちそうになっていた。


向こう側にはミセス・スキャノンが住んでいた。
彼女はめかしていて、金の鎖が付いた眼鏡を首から下げ、銀色のふわふわした髪をしていた。
そして、玄関ドアにビニールでストライプ柄の張り出し屋根を付けていた。
― かなり上級志向だったんだ。
「彼女は何者なんだろう?」

彼女は気まぐれに、僕ら子どもたちを褒めたり貶したりした。
ケヴィンを気に入り、彼女の通うチェスクラブへ連れて行くほどだったが、時々、彼女の態度はひどく悪く、彼女の庭にサッカーボールが入り込んでしまったときは、返してくれなかった。




第二章ここまで




13 件のコメント:

  1. ねこあるきさん、匿名です。
    こんなに長いチャプターを全訳してくださって
    ありがとうございます。

    ジョージの好物だというフィンダス社のフイッシュバーガーや
    ハンバーガーの画像、そしてたまに食べるという
    イングリッシュ・フライド・ブレックファスト、
    それからジェレミアパパの大おじさんの画像なども初見です。
    しかし、よくミック・オダウドさんの画像を見つけてこられたなと
    関心しています。ジョージのご親戚にそんな方がいらしたのは
    知りませんでした。(ご先祖様がIRAの隊員だった
    話はちょっと前にネットで知りましたが)

    弟のジェラルドさんが失明!?え、え?となりましたが、
    その後、ボクシングに打ち込むところを見ると、
    大丈夫だったのでしょうか。
    確か、このジェラルドさんがグローブを構えて、
    その横でジョージが座っているショットを見た記憶があります。
    ジョージもボクシングをかじった、と(同人誌で)聞いたのですが、
    兄リチャードさんの影響ばかりでなく、パパからも
    期待かけられてたんですね。

    それにしても、「食べるよりも、放り投げた食べ物のほうが
    多かった」って…ジョージや兄弟、妹さんは、
    なかなか壮絶な環境で育ったようですね。

    ねこあるきさんがどこまで和訳可能かわかりませんが、
    たまにでも良いので、
    続きをぼちぼちUPして頂けたら、嬉しいです。

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    1. 匿名さん。
      いただいたコメントに、いつも気力をもらっているねこあるきです。

      ジェラルドの失明については、私も「え?」と思い、「Gerald had gone blind」(13頁、チャプター2の下から8行目)を「ジェラルドは失明してしまった」にしか訳せませんでしたが、自分が間違っているかもしれないので、他の人にももう一回聞いてみようかな。
      何歳の時に失明したか書いていないので、ボクシングのくだりで、目が見えないのにボクシング?と思いました。
      治ったのか、それともだいぶ後に失明したのか、疑問です。

      なかなかエキセントリックなご近所さんがいて、時代を感じさせますが、のちの華やかなボーイから想像もつかない子ども時代ですよね。

      ご先祖様がIRAとは!!いきなりびっくりです。
      先進国のくせにイギリスのアイルランド問題は相当根深いので、(歴史のことを語り出したらキリが無いですけれど)実態はどうなのだろうか、と。
      クイーンはフレディがインド人呼ばわりされる事は、よく話題になるのに。

      この自叙伝は、ご存知の通り相当長いので全部和訳すると2,3年はかかりそうですけれど、もうちょっと頑張ってみます。
      匿名さんには、いつもお付き合い下さって本当にありがとうございます。

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  2. こんばんは。

    早速和訳して頂き有難う御座いました。

    読んでいて ジョイスの「ダブリン市民」を思い出しました。

    アイルランド人は喧嘩早く 其処からボクサーが多いと書いてあったと思います。
    又ブリテンで一旗揚げて、帰国し自慢するのが夢ですが、その実誰も出来ていない。独立国だが本当はブリテンの植民地の様な扱いを受けている。そんな事も思い出しています。

    >エキセントリックな ご近所 今現在でもある様です。
    私はスコットランドに近い北部ブリテンに住んで居られる日本女性のブログを読んでいますが、色々薬物や生活態度全般で警察によくお世話に成る家や人は沢山いる様です。又一週間 同じローテーションで 全て瓶詰か冷凍食品(写真をあげて居られる様な)で食事を作っている方も多いそうです。まぁ色々ご事情があるとは思いますが。
    >失明 これはショックや失神等で 一時的に目が見えなく成ったのでないかと受け取りました。
    >庭 どうも庭だけでなく故障等 全てDIYでやりたがるのだそうです。
    直ぐに修理屋さんが来ないし、上手く治らない、高い料金 等の理由がある様です。
    装飾や家の改築も 自分でするお国柄の様です。

    長々書きまして済みません。的外れお許しを。

    では今夜この辺で失礼致します。 お元気で。

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    1. Eddyさん、こんばんは。
      いえいえ、こちらこそご覧になっていただけて有難く存じます。
      イギリスもアメリカも、先進国なのに「闇」の部分が底知れないですね。
      エキセントリックなご近所さんが未だご健在とは、いやはや、ここにも薬物が影を落としていますか。
      イギリス料理は…、まあ、あまり触れないでおきます(笑)

      失明のくだり、もうちょっとボーイの本文に補足説明が欲しかったです。
      なるほど、一過性ならば自然ですね。
      或いは、ボクシングのやり過ぎで失明したのかと、また深読みするところでした。後半に詳細が出てきてくれれば良いですが。

      色々と興味深いお話を有難うございます。
      観光地の「ネス湖」のような、風情ある城址のイメージから、一気に雑多な庶民の生活が浮き彫りになったようです。
      イメージが出来ますと、和訳が進みやすくなります。

      またお話や、ご感想をお聞かせ願えますと幸甚に存じます。

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  3. ボーイの話はおもしろい。YouTubeのよくわからないインタビューも雰囲気で楽しんでます。次回UPして頂けるまで、何回も読み返せそうです。大変な作業 感謝しております‼️私はカルチャークラブがビルボードに来てくれぇ~‼️と神様にお祈りしてるんですが、次はいつ日本に来てくれるか待ち遠し過ぎてたまりません……m(_ _)m

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    1. Unknownさん。ようこそお越し下さいました。
      ボーイのお話は、キレッキレですよね、時々「毒」が入るのもまた面白い。
      自分でも、何度か読み返していますが、やはり、英語より日本語の方が分かりやすいです(←当然か)
      どうして邦訳で出版されないのか、このまま読まないでおくのはもったいないです。次にボーイが来日してくれるまで、どれだけ進められるか分かりませんが、気長にお待ちいただければ幸いです(^_-)

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  4. 匿名です。「来日」に反応してしゃしゃり出ました。

    Twitterのほうで、ジョージが来日に乗り気な発言があり、しかもファンの方からのつぶやきに対してのリプなので、Twitterが盛り上がっております。
    2年前に来たばかりなので、そう易々と来日は叶うのか…。83、84、85年の連続来日とは、状況が違ってますので。でも叶う可能性も捨てきれず、
    ジョージのリプにドキドキです。

    Eddy.Tさん
    はじめまして。アイリッシュが喧嘩早くてボクサーが多い。そうなんですね。
    教えて頂き、ありがとうございます。

    あの…。自伝の和訳でお忙しい中、非常に恐縮ですが、ねこあるきさんにまたお願いあります。
    culture clubの曲で既に和訳済みの曲があるのですが、ある動画に和訳をオンして頂ければと。

    後でその曲のページにコメント入れてよろしいでしょうか?

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    1. 匿名さん。
      来日?!それはドキドキですね!物凄い勢いで食いつきます。
      入国許可の裁定を下すのは日本の裁判所なのですが、ボーイのその後の真面目な生活と、熱い要望を汲んでいただけないものかどうか(ハラハラ)

      和訳済みはねこあるきの和訳で宜しかったでしょうか。
      私の和訳でよろしければ、動画のURLを教えていただければ、権利に引っかからなければ出来ると思います。
      (YouTubeの規制は波があって、どういうパターンなのか分からないです)

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  5. こんばんわ。動画に和訳をオンして頂きたい曲のところにコメントを入れさせて頂きました。既に和訳動画が掲載されていることでもあり、これはちょっと...と
    言われるかもしれませんが、とりあえず希望を出しました。

    いったん犯罪の履歴が付いてしまったジョージには、
    簡単に入国許可が出ないのですね…。
    「逮捕されたのが英国やアメリカだから良かったけど、中国などで捕まってたら、
    即、死刑台だったよ!」と知り合いに脅かされてます。ヒエェ(;゚Д゚)

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    1. 匿名さん。ヴィクティムズですね。あとで動画を確認してみます。
      ねこあるきは、クイーンの同じ曲で違う動画の字幕を作っていますから、作ることは特に問題は無いですよー。
      ちょっとお時間をいただくのが難点ですが(ごめんなさい)

      ああ、中国でお薬の犯罪はシャレになりませんねえ。歴史的なものなのか、相当シビアです。裁判の翌日には刑が執行されてしまいます。
      逆に中国だったら、手を出していないかもしれませんね。

      ちなみに中国でお薬を作って、アメリカ等他国で安く売っています。混ぜ物が多いから、どういう症状が出るか分からないらしく、中国製のお薬は規制されたようです(全部規制しないのか?)

      どっちかというと、アメリカやイギリスで、気軽にお薬が買えるところが問題です。歌手の飛鳥も、最初はイギリスで手を染めたそうですし。
      日本も他国のことは言えないんですけどね。

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  6. ねこあるきさん、お疲れ様です。匿名です。

    希望した「Victims」の片方の動画(ジョージが黒い服を着ているもの)は
    映像が飛んだりしてて、和訳オンはちょっと無理かもしれないので、
    ほんとに可能であれば、で良いです。時間かかっても全然構いません。

    クイーンと言えば、「ボヘミアン・ラプソディ」が大ヒットしてますよね。
    洋楽にそれほど傾倒していない知り合いでさえも3回見に行ったと
    SNSに書いてました。私も暇が出来たら見に行こうと思いますが、いつまで
    上映してるのかな。

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    1. 匿名さん、こんにちは。
      赤い服を着た方も、微妙に最後が切れていますが良いですか?
      ともあれ、時間があるときに手を付けてみます。

      不可解なことに、本当に何が原因かまったく分からないのですが、カルチャークラブの動画を作ろうとすると、編集ソフトがあり得ないエラーを頻発して、結局完成に至らなかったものが多数。
      カルチャークラブだけがそうなのです。
      ちなみにウォーリーアバウト…は、結構複雑なのに大丈夫でした。(メンバーが出てないとOKなのか??)
      もし完成に至らなかったらごめんなさい。

      ボヘミアンラプソディーはクイーンをほとんど知らない方が、何度も観に行っている現象が起きているようです。
      上映終了の予定はまだ未定のようなので、長くやってくれると良いです。
      私もまた観に行きたいです。

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  7. もちろん!無理のない範囲で構いません。よろしくお願いします。
    何故cultureclubだけエラーに?不思議ですね。

    ボヘミアンラプソディ、上映はしばらくあるのですね。
    ぜひ見に行きたいです。

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