2020年8月24日月曜日

1976年10月29日号「ヘアードレッサー・ジャーナル」より - 和訳

1976年10月29日号「ヘアードレッサー・ジャーナル」より和訳



ボーイ・ジョージの自叙伝の、第八章に載せた、ヘアードレッサー・ジャーナルのキャプションがどうしても気になって、和訳しました。

なんでこんなものまで和訳するんだ、とお思いの方もいらっしゃると予想されますが、ねこあるきとは、そういうヤツなのです。



まず、全体を見ましょう。
小さくて分かりにくいですが、番号が飛び飛びです。





次に、一つひとつ見て行きましょう。



4. Taking sections upwards towards the crown.Graham here shows the previous guideline section underneath the one he is cutting

クラウンに向かって、セクションを上向きにします。
グラハム(人名)がここでお見せしている、彼がカットしているすぐ下がガイドラインとなるセクションです。

(訳考:「クラウン」は頭頂とか、上の意味だろうか)
(訳注:「セクション」は専門用語。カットするために分けた、頭の部分のことを差すらしい)





5/6. Working well past the centre for a guide,he moves to the other side of the ear.
Here he moves to the front, angling the hair over the ear as shown

センターを越えて、グラハムは反対の耳側を動かしています。
ここで彼はフロントへ向けて動かし、図のように髪を耳に掛けます。

(訳注:「センター」は、額からえり足まで、頭を左右対称に分けた時の、真ん中の事らしい)




10.  Front section is divided as shown and hair is combed forward to cut first left-hand section

フロントセクションは図のように分け、初めの左手側のセクションへ向けてコームでとかします。




11. Continuing the left-hand side of the fringe,a new center parting is made to ease front sectional cutting up to the crown to blend in with sides

左手側の前髪を続けて、新しくセンターパートを簡単に取り、サイドに溶け組むようにクラウンまでカットします。

(訳注:「パート」は分け目のことらしい)





12.Again showing angle of cut taken

もう一度、カットした部分をお見せします。





Blow-drying is with the fingers as cut ensures style falls into place easily

指先を使ってブローをし、カットしたスタイルを保つよう、それぞれ簡単に流します。




15.Finished angles showing plenty of movement

完成です。この角度から、動きのある仕上がりが分かります。




以上です。



専門用語は調べましたし、英語はなんとか分かりますが、いったい何のことか分かりません!
ねこあるきは、理美容師にはなれないことを確信しました。


ジョージ少年が麗しいことは分かりました。




おまけ


ここまで来たら、これを見ずにはおられまいよ。
記事の中では、2枚並べて表示だったので、小さめだったジョージ少年の写真を拡大しました。





年の頃は14か、15歳くらいです。
女の子に人気があるのも、納得です。




TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第八章

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第八章


女の子と付き合い始め、思春期のジョージ少年ですが、セクシャリティの悩みもあり、また学校や家においての生活も、息苦しく感じ始めています。
だんだん自我がはっきりしていく過程を読んでいきます。


前回、第七章はこちら




CHAPTER 8
第八章



僕は、セント・ピーターズに住むルース・マクニールと付き合いだした。
彼女は、ペッカム(地名)から来た黒人の女の子の出で立ちをしていて、ゴールドのチェーン、ガビッチのジャンパー、ペンシルスカート、それとエスパドリーユを履いていた。
(訳注:ガビッチ Gabicci1973年に出来たブランドで、モッズをテーマにしている)


▼参考画像「エスパドリーユ」(麻の底、甲はキャンバス地で出来た靴)





僕たちは、グリーンウィッチ市役所で行われている、ソウル音楽を聴く「ソウル・ナイト」へ行き、そのあとロンドンのフォックス・オン・ザ・ヒル(訳注:店名。軽食とバーのお店)で、アーチー・ベル&ザ・ドレルズの「ソウル・シティ・ウォーク」や、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの、「夜汽車よ!ジョージアへ」に合わせて踊ったんだ。



▼参考画像「アーチー・ベル&ザ・ドレルズ」アメリカの、リズム・アンド・ブルースのヴォーカル・グループのこと





▼参考画像「グラディス・ナイト&ザ・ピップス」アメリカの黒人女性歌手。ソウルの女王の異名を持つ。






僕は女の子を目当てに、出掛けていた。
どういうわけか、みんなが女の子と付き合っていると、自分も付き合いたくなるものだ。
おかげで僕は、無意味な痴情のもつれに巻き込まれ続けた。

無意識のうちに、僕はフラフラした女の子をターゲットにしていて、その子たちをいっそう、危なっかしくさせてしまっていたんだ。


ルースは、友達のトレーシー・バーチを、全面的に信頼していた。
「ジョージ、私のそばに二度と近寄らないで」

ルースと僕の間に、肉体的なふれあいが無かったから、ルースは不愉快な思いをしていた。

ルースは、いったい自分のどこが悪いのか、と悩んでいた。
彼女の欲求不満は、いろんな形で噴出した。
「ちっとも私の事、大事にしてくれないじゃない」


たぶん、彼女には何が不満なのか、ハッキリと言う勇気はなかったんだ。
「私の事、好きじゃないのね」

そう、僕たち二人にとって、セックスに関する事は、触れてはいけないタブーだった。

皮肉なことに、彼女が解決を目指すのではなく、不安で悩んでいる間は、僕にとって安全地帯となり、しかし、それはまた頭痛の種でもあった。
僕は何としてでも、病院に行くのを避けた。

トレーシー・バーチのキーキー叫ぶ金切り声に、ルースは決まりの悪い思いをしていた。

トレーシーは13歳だ。

彼女の宇宙船に似た髪型は、ニューエルタムのなかでも最高にエキサイティングで、輝く赤色に、ぱっと見は緑色の、中世のような前髪をしていた。
トレーシーは、自分で髪をカットしているみたいだった。

ルースいわく、トレーシーは外見をバカっぽく見せるとこで、自分を勇気づけてくれるとのことだ。
「そうでなきゃ、あんな見た目をした子と、どうして一緒に出歩けるっていうのよ」


トレーシーが着るものは、みんな黒色だった。
タイトなレオタード、50年代のギャザースカートに、幾層も重なったペチコート、黒いビーズのハンドバッグ、そして先の長くとがったスチレットヒールの靴。

僕はケバケバしいアロハシャツを着て、安いデニム製のワークパンツ、ビニールのサンダルを履き、奇抜な蛍光色の靴下を履いていた。

トレーシーと僕は、揃って目立ちたがり屋だったんだ。

僕とトレーシーには、すぐさま親近感がわいて、それがルースの逆鱗に触れ、また彼女は取り残されたように感じていた。

トレーシーはルースの親友だった。
だからトレーシーは、僕と自分を引き合わせなくて良い、と強く望んでいた。

ルースは、トレーシーがいつか僕を奪おうとしている、と言う。
僕は、そんなつもりは全く無いと言った。
でも、ルースは信じてくれなかった。
彼女が言うには、僕はルースとトレーシーを天秤にかけている、ということだった。

トレーシーはとてもかわいい子だったけれど、僕は彼女を愛してはいない。
僕がトレーシーを好きだったのは、彼女が自分なりのスタイルを持っていたからだ。
そして彼女は、田舎特有の、野暮ったいメンタリティを持ち合わせていなかった。

しかも、彼女の姉妹が付き合っているボーイフレンドは、バイセクシャルだった!
トレーシーは、バイセクシャルのどこが悪いのか、全く意に介していなかった。


ミッシェル ―トレーシーの姉の名前だけど― は、アンジー・ボウイのクローンと言っていいほど、そっくりだった。


▼参考画像「アンジー・ボウイ」アンジーとボウイの2ショットです。






ミッシェルは、化繊のデニムを持っていた。
僕は、彼女には本当に驚かされたと思う。

トレーシーは、ヴィダル・サスーンで行われた学生のためのエキシビションでヘアカットのモデルをして、見たことも無い髪型に、無料で仕上げてもらっていた。
ミッシェルは、美容師の研修生で、トレーシーはその練習台にもなっていた。

トレーシーは僕をヴィダル・サスーンの研修学校へ連れて行った。
そこで僕が見たものは、彼女が自分の髪をピンクに染めているところだった。

僕はひどく嫉妬した。
でも、仮に僕が同じように髪を染めて自宅に帰ったら、絞め殺されてしまうのは目に見えていた。



僕は、トレーシーが僕をゲイではないか?と疑っているのをうすうす勘付いていた。

だから僕に、気になった男性のスタイリストはいないのか?とよく尋ねてきた。
「あいつなんか素敵じゃん?どう思う?」

トレーシーが勧めてくるのはみんな、揃ってガリヒョロで、オカマっぽく、髪をウェッジにカットして、着ているジャンパーの肩あたりには、紐が巻き付いていた。

僕は笑い飛ばした。
で、あえてトレーシーには、僕は美容師より建築家が好みだ、とは言わなかった。



1976年の夏休みの間、僕はほとんどの時間を、トレーシーと一緒にレッド・バス・ローバーで行ける範囲なら、全部のチャリティーショップを回って過ごした。
(訳注:チャリティーショップとは、寄付された品物を慈善事業のために売っている店のこと)


▼参考画像「レッド・バス・ローバー」イギリスの赤いバスです。






バザーで掘り出し物を探し、40年代の服や靴を狩りまくった。
トレーシーのお母さんは、布地屋で働いていて、風変りな生地を自宅に持ち帰っていた。
スエード、ゴム、化繊、工業用のナイロンなんかは蛍光色に染められていた。

僕らは、キングスロードにあるアクメ・アトラクションズやセックス、またはボーフォートに並ぶお店の洋服を買う余裕は無かった。
だから、自分たちで作ったんだ。


▼参考画像「アクメ・アトラクションズ」の広告。モッズ系の服のブランド。





▼参考画像「SEX セックス」は、マルコム・マクラーレンがヴィヴィアン・ウエストウッドと提携して立ち上げたブランド。パンク系。






たくさん手に入れた服の大半は、オックスファムで手に入れたものだ。(訳注:オックスファムは、発展途上地域を支援する、英国の民間団体のこと)

僕たちがチャリティに寄付をする代わりに、彼らが僕たちに施しを与えてくれた。
僕たちは試着をするために更衣室へ入り、自分の服の下に重ねて売り物の服を着たのさ。
(訳考:盗った?)



母さんは、古着のシャツを縫い目に沿ってほどき、バラバラにしていた。
僕は、バラけた断片をそれぞれ違う色に染めると、母さんはまた元通りに縫い直した。

僕らは、ブライアン・フェリーが着ているGIシャツや、軍払い下げ販売店のローレンス・コーナーに売っているスタプレストのズボンを真似て服を作った。
(訳注:「スタプレスト」は、リーバイス社が1964年に製造したシワにならないズボンのこと)

▼参考画像「ブライアン・フェリー」の「GIシャツ」。
ブライアン・フェリーは、イギリスのミュージシャン。






学校が始まって、僕が学校へ着て行ったのは、40年代のマンボズボンと、細いネクタイだった。


▼参考画像「マンボズボン」お若い方へ解説しますが、裾に向けて細くなっているパンツで、ベルボトムの真逆の形状です。『マンボズボン』は日本語で、英語では『drainpipes 排水管(ズボン)』と言います。






「おい、ジジイ。父ちゃんの服着てきたのか?あ?」

仮に僕が、この服はオックスファムで手に入れた、なんて言っても、信じちゃくれないだろう。

「だから?君の親は、服も買えないほど貧乏ってこと?」

「お前、中古屋の靴なんか履いてたら、水虫になるぞ。
うーわ、どこの誰が履いた靴かも知らねーのに」

学校にいるみんなのファッションは、未だパンタロンにフェザーカットの髪型だ。


▼参考画像「パンタロンとフェザーカット」






流行を先駆けていそうなのは、三人の黒人の女の子だけ、そのうち一人はミッシェルで、髪にピンクのメッシュを入れていた。
僕は彼女のファンだった。

僕はファッションの最高峰にいる、とうぬぼれていた。
でも、僕の髪型は全然ダメダメだ。



トレーシーが言うには、ウエストエンドにあるグレンビー・インターナショナル(訳注:ヘアサロンの名前)で、ヘアカットのモデルを探しているとのことだった。
だから、学校が休みの日に、母さんに連れて行ってもらうことになった。
母さんは、僕に「絶対ヘンなことはしない事」と固く約束をさせた。

僕はすでに、父さんと衝突済みだった。
僕は自分の前髪を、フェルトペンの中芯を使ってブルーに染めてみた。

目ざとく父さんは言った。
「おい、そのクソな髪はなんだ?」

「なんでも無いよ。洗ってくる」

「そうしろ、すぐ洗え」



グレンビーで僕は、ウェッジにカットしてもらい、ヘアドレッサー・ジャーナルに載せるため、写真を撮ってもらった。


▼参考画像。ヘアドレッサー・ジャーナルに掲載されたジョージ。
「カメラがクレージー」誌より。





僕は、デヴィッド・ボウイの『ヤング・アメリカン』のジャケ写みたいな髪型にして欲しかった。



▼参考画像「ボウイの『ヤング・アメリカン』」






スタイリストたちは、髪を染められるんならね、と言った。

僕は言った。
「ブラウンがほんのり入っている程度だったら」
加えて、母さんが許してくれないから、と恥ずかしくて消え入りそうな声で付け足した。


サロンの照明は暗く落としてあったから、髪を染め終わっても、そんなに僕には違いが分からなかった。
それで、お日さまの下に出た時、何気なく路駐してあった車のサイドミラーをひょいと覗き込んでみると、それはブラウンと言うよりオレンジ色だった。

僕は、日が沈んで、すっかり暗くなるのを待ってから、家に帰った。

僕が一歩、家の中に入ったとたん、母さんが飛んできて僕を引っ掴み、グイグイと電灯の下へ僕を引っ張ってきて捲し立てた。

「母さんとの約束はどうしたの?!
どう見ても目立つオレンジじゃない。
なんて色なの!
そんなんじゃ、学校に行けないわ。
何で髪を染めさせたの?」


案の定、僕はオレンジ頭のまま学校へ行くと、先生たちは僕を家へ帰した。
ドーソン校長が言うには、僕がいると他の生徒が規則を守らなくなる、とのことだ。
母さんはドーソン校長に、髪が生え変わるのを待つしかない、と言った。
どうあっても、母さんは僕にもう一度染めさせようとはしなかったんだ。


子供たちはバスのてっぺんから僕に向かって叫んだ。
「なんだあのヘンな頭!」
「やーい、クエンティン・クリスプ」

クエンティンは、テレビ映画の「ネイキッド・シヴィル・サーヴァント」が放映されて以来、彼の名前は学校で悪口の代名詞になっていた。


▼参考動画「ネイキッド・シヴィル・サーヴァント」は、クリスプの自伝的小説を元にしたドラマ映画。カップを持って前口上を述べているのがクエンティン・クリスプ。






僕はその番組を、口を開けたまま見入っていた。

テレビの中で、髪を染めた男は、おおっぴらに言う。
「ご覧のとおり、私は女っぽいホモセクシャルです」


僕がテレビにくぎ付けになっていると、父さんと母さんは嫌な顔をした。

この番組が始まって以来の数週間、学校ではこの話題で持ちきりになった。
誰もが彼のことを「気色悪い」と思ったけれど、僕は、クリスプは勇敢でスタイリッシュだと思い、彼に会いたいと思った。



学校の子どもたちは、僕を見かければいつも「変態、オカマ、ホモ」など、悪口を投げつけてきた。

でも、僕は誰が何と言おうと、何も気にしなくなった。
「だから何?自分がそうだから僕に言うんだろ」

僕は、こんな小さくて偏狭な世界の一部になんかなりたくなかった。
この僕の髪型は、電気に打たれたように刺激的だった。

「なんで女の子の髪型にしちゃったの?」



いつものように、僕は学校へ遅れて行った。
そして、いつものようにドーソン校長に捕まる。
「オダウド。遅れた理由は?」

「分かりません、先生」
「金曜日に、君はやるべき作業をすっかり終えたに違いない」

「僕は金曜日、学校に来ていません」

「その通りだ、オダウド。
君はその髪の色のおかげで、学校から逃げ出せるとでも思っているのか、まあ、そのように見えないがね。
いいかね、私の訓戒から学びたまえ」


僕は次第に、やがてはほとんど学校へ寄り付かなくなっていった。
就職相談では、僕はやる気もなく肩をすくめていた。

僕はただ、自由になりたかったんだ。
早く、その日が来ないかと、どんなに待ち焦がれたことか。

僕は学校をさぼって、エルタムのハイ・ストリートや、オックスリーズ・ウッド、あるいはバスに乗ってウエストエンドまで行き、ぶらついていた。

この現状に対して、僕が知っている唯一の打開策は、学校から退学することだ。


僕はランチタイムに、特別支援級(特別な支援を必要とする学級)を飛び出し、地元の店へ行った。

そこでパンを一斤買うと、中身をくりぬき、バターを塗り、そこへフライドポテトを詰め込んだ。


▼参考画像。フライドポテトをパンにはさんだ「チップ・バティ」
「チップ」はフライドポテト、「バティ」はバタ付きパン。イギリス料理。






取って返して学校へ戻ると、僕はドーソン校長の元へと送られた。
いよいよ最後の対決だ。


校長は、叫び、怒鳴り散らした。
「オダウド!ご両親がこの有様を見たら何と言うか、考えたのか!
君は今、ご両親に対して何をしているのか分かってるのか」

校長は、片手に杖を持ち、もう一方の手のひらに杖を当て、部屋の中をゆっくり歩きつつ音を鳴らして回った。


「僕は、ここにいたくありません」
僕は校長に言った。

「こんな場所、大嫌いだ」

「貴様は一生かけても、碌な人間になれないだろうな、オダウド。
なんたる大馬鹿者だ!」


僕が学校を出るとき、背後でドーソン校長の声が廊下に響き渡っているのが聴こえた。

「問題ない、すぐ戻る」






※画像はイメージです/ねこあるき制作


 1976年9月29日

 親愛なる オダウドご夫妻 様
 ジョージを学校から正式に退学させる以外の選択肢が無いことを、ここに通知いたします。





次の日、母さんは学校へ僕を引きずって行った。


僕はドーソン校長のオフィスに座り、うつむいた。
母さんは、素朴な疑問を僕に投げかけた。

「ジョージ、この学校にいたい?」
「いいや」

母さんは、教育当局から訴えられるリスクの中、僕を学校から連れ出した。
母さんは学校に、僕をアイルランドにいる親戚の元に送る、と言った。


そのあと数年間、ドーソン校長と僕との確執は続いた。



校長は、全英教職員協会の会長を務めていて、新聞には、ドーソン校長の、知識と見解が並べ立てられた。

※画像はイメージです/ねこあるき制作



ジョージ・オダウドは『不適合者』の典型例でした。
彼は、適合しようとしなかったし、また彼も望まなかったのです。

私は1970年に学校へ赴任しましたが、そこは非常に厳しい状況下にありました。
それを打開し、正しい管理下に置くには、懲罰が唯一の手段でした。

我々教職員によって管理体系が整った後、ジョージが入学してきたのです。

彼は、正しい振る舞いや、勉学や作業に励むことを不得手としていたのは事実です。
また彼は、教員や学友との円滑な交流を拒みました。

その当時、ジョージが男子、あるいは女子のように装いたいと混乱していたかという形跡は、まったく見受けられませんでした。

しかし、彼が混乱を来たさなかった、ただ一点の事があります。
それは、彼は勉強も、作業もしたくなかった、ということのみです。

ジョージは、慢性的な不登校児でした。
学校へも来ず、我々が彼を学校へ連れてきたとしても、作業に参加すらしませんでした。

彼は素行不良というわけではなく、矯正しがたい少年少女たちに染まることはありませんでした。
しかし結局は、特に矯正の難しい子どもたちを預かる、経験豊富な先生が受け持つ養護学級に入りました。

(訳考:原文は「sanctuary unit 庇護体系」ですが、分かりにくいので先に「Special Needs 特別支援」とありましたから、意味を揃えて「養護学級」と訳しました)

仮に彼がひと言「退出します」と言ったとしたなら、二度と彼の姿を教室で見かけることはないでしょう。




ドーソン校長の見識は、1984年のタイムズ高等教育版(訳注:雑誌)で、校長ともあろうものが、個人である僕の教育について公に話すべきかどうか、白熱した議論を呼んだ。

まあ、次から次と、口の減らないのがドーソン校長の特徴だからね。
ドーソン校長は、僕がいかにして成功するか、なんて理解できっこないだろう。




第八章 ここまで。


個人的に調べてみましたが、ドーソン校長は、のちに政治家になり、評価されております。
ジョージの視点(生徒の視点)から見ると、ろくでもない人物のように見えるのですが、難しいものですね。



おまけ

ところで、ジョージ少年がモデルをつとめた、「ヘアードレッサー・ジャーナル」に、何が書いてあるのか気になったので、別ページで和訳しました。

ここをタップかクリックしてご覧ください。






2020年8月17日月曜日

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第七章

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第七章



第七章、Chapter7では、ジョージ少年は14歳に成長しています。
そろそろ子どもの時期が終わり、思春期を迎えつつあります。

前回から1年間空きましたが、性懲りもなく続けます。


チャプター6はこちら


CHAPTER 7
第七章


母さんは何年間も、より大きな家に住むため、公営住宅に申し込みをし、待機リストに名を連ねていた。

(訳注:イギリスでは、地元の議会を通じて、公営住宅の募集へ申請し、待機リストに載る手続きを取る。)

母さんは、地元の議員たちを手紙と電話攻撃で苦しめた。
父さんもまた然り、同じことをしていた。

母さんは、抗議として家賃の支払いを止め、そのお金は普通預金の口座へ貯金していた。
地方議会は、僕たちを立ち退き処分で脅かしてきた。


母さんは開き直って好戦的だった。
この攻防は、結局、地方議会が折れる形で終結し、僕たちに新しい家を提供してくれた。

議会が新しい住所を送ってくれたとき、母さんは僕たちに新しい家を見に行こうと言い出した。
新しい家は、オックスリーズ・ウッドから2~3マイル(:3~5キロ)離れた、シューターズ・ヒルのてっぺんにあった。

僕は、毎日どれだけ歩かなきゃいけないのかと、うめき声をあげた。

僕たちが正しい番地を見つけ、新しい家を前にして、その大きさに驚きのあまり立ち尽くしてしまった。
「まさか!」

僕が窓台へ登り、窓から伺える家の内部を、細かいところまで説明した。
それでも信じられなくて、まだ僕たちは、また何か間違いをしでかしたのではないかと考えていた。

ガラス張りのドアの玄関口の上には、「ザ・クレストTHE CREST」と刻まれた、 巨大な石のアーチがあった。
それは、ブラックヒースにあった、僕が何年も憧れていた家のようだった。

この家でも僕は、自分だけの部屋をもてなかったけれど、1974年の9月に引っ越してきて、僕たちはとても幸せだった。
新しい家には4つの寝室があった。

1つは父さんと母さんの、1つがリチャード、1つがシオバン、残る一部屋にデヴィッド、ジェラルド、ケヴィンと僕が押し込められて、まだまだ僕たち兄弟は窮屈だった。
まだまだ窮屈だった。

僕は洋服ダンスをパーテーション代わりにして、自分の場所を確保した。
それから、僕の場所だけオレンジと、チョコレート・ブラウンに色を塗り、銀色の電球が付いた、キノコ型のランプを置いて、デヴィッド・ボウイと、Tレックス、デヴィッド・キャシディの写真を、壁一面に貼り付けた。


弟のジェラルドが、僕に敵意を向けていることを、ひしひしと感じていた。
それを僕はからかった。
「お前はケチ臭いやつだな。来いよ。殴りたきゃ、殴ってみろよ。」

僕たち家族は、夕食の席でいつも何か話し合っていた。
僕は、会話には加わらず、自分の分の夕食をトレイに載せて二階へ上がり、一人で食べた。

ジェラルドは僕に言った。
「お高くとまりやがって。僕たちより自分が一番出来がいいと勘違いしてるんだ」
「ほっとけ、パキ」
(訳注:「パキ」はパキスタンからイギリスへの移民を指す。蔑称なので、悪口に使われている)


僕は考えた。
ひとつは、不安を感じてひるむこと。
もうひとつは、優位をとって、見下す事。

僕は、ジェラルドを見下す方を選んだ。


ちょうどその時、僕は服にアイロンをかけて、出掛ける仕度をしていたんだ。

ジェラルドは、壁からアイロンのコンセントを何度も抜いて、しつこくアイロン台をガタガタ揺らしたものだから、とうとう僕は堪忍袋の緒が切れてしまった。

それで、ペンキの入った缶を手に取るや、ジェラルドめがけて投げつけた。
ペンキの缶は、母さんの買ったばかりのアキスミンスター絨毯の上で、盛大に塗料をまき散らしながら、派手な音を立てて転がった。
(訳注:アキスミンスター絨毯とは、機械織りの高級じゅうたん)


僕は予想外の被害に、泣き叫んだ。

ペンキが乾いて取れなくなる前に、僕とジェラルドは家中を走り回ってタオルを掴むと、必死に拭き取り続けた。
掃除機で、塗料を吸い上げようともしてみた。

無情にも、掃除機は詰まってしまった。

さらに悪いことに、カーペットの上を歩き回ったものだから、塗料はあちこちに広がってしまった。

およそ20枚もの、真新しくて良いタオルを、僕たちはダメにしてしまった。

この大恐慌の真っ最中、僕は玄関のドアガラスの向こうに、父さんの影を目の端で捉えてしまった。
固まる僕の耳には、否応なしに父さんの咳をする、かすれた音が飛び込んでくる。

分かっている。
僕は父さんに殺されるんだ。
きっと、父さんは僕を殺すに違いない。

恐怖が頂点に達した時、僕は裸足のまま駆け出していた。
勝手口を抜け、フェンスを乗り越え、凍てつくような寒さの中、僕は走りに走った。
そのまま1マイル(約1.6キロ)ほど走り、ようよう見つけた電話ボックスに身を隠した。

2、3時間くらい経った頃、行き詰まった僕は、恐るおそるコレクトコールで家に電話をかけた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」

電話に出た父さんは風邪声で、時折咳き込んでいた。
「すぐに帰りなさい。お前を悪いようにはしないから」

それなのに、母さんは無慈悲だった。


僕が投げた塗料は掃除されたけれど、あちこち変な風に色が残っている。
この変わった塗装は、ペンキ缶を投げるとどうなるかを教え、まだやらかす前に気付くきっかけとなり、僕たちはこの教訓を忘れることはなかった。



年上のケヴィンは、自分はもう大きいからと考えたのか、僕にあれこれ口出しできると思っていた。

僕が音楽を聴いている時、ケヴィンは僕の背後に忍び寄り、イヤホンを引き抜くなり耳元へ大声で「おい!」と叫んだ。

僕がテレビを見ながら、たまごとフライドポテトをつまんで楽しんでいた時も、ケヴィンは友達と一緒にどやどや部屋に入ってきて言った。
「なに食ってんだよ。もう晩飯前だろ?父さんと母さんが良いって言ったか?」


僕はケヴィンに、偉そうに威張るのをやめてくれ、と言った。
「誰も感心しないよ」とも。

ケヴィンは僕を小突いた。
僕は手にしていたフォークで彼を刺し、肘を回してケヴィンを締め上げた。

フォークはうまいこと急所を刺して、ケヴィンは床の上を悶え苦しんで転がった。
「ジョージが刺した、ジョージが刺した」

僕は二階へ駆けあがり、トイレに鍵をかけて閉じこもり、ケヴィンが階下へ降りるまで聞き耳を立てていた。



僕はいつも、タイミングが悪いときに大口を叩き、よせば良いのに誰かの会話へ口をはさんでは、トラブルを引き起こしていた。
父さんと母さんが、言い争っている時に、それをやってしまっていた。

僕の最大の欠点のひとつに、いつ口を閉ざすか分からない、というのがあった。
僕は空いた時間を、母さんと一緒に買い物をしたり、福祉事務所で過ごしたりした。

僕は目に付いた人々を、余すことなく批評した。
「ひどい格好。クズ女。不細工ビッチ」

母さんは僕を叱った。
「いい加減にお黙りよ。お前がよそ様に対して、ひとつでも褒めたことがありゃしないったら」

母さんは正しかった。
僕は、自分が異質だと分かっていた。
独りで戦っていて、世間の全方位を敵に回して、勝手に反抗していた。


父さんは、僕が口答えするのに良い顔をしなかった。
特に、僕の意見が正しかった時は。

父さんは自分だって出来もしない振る舞いを、僕たちがする様に求めていた。

僕たちがなぜ父さんの求める態度や、振る舞いが出来ないのか、弁解の余地も、原因も考えずに、「父さんが言っただろ」のたった一言で、出来るように強いられた。

僕は聴こえないような小声で「ブタ」と言った。
もし、父さんの耳に入っていたら、僕は容赦なくぶっ叩かれていただろう。

僕は叫びながら家を飛び出した。
「父さんなんか嫌いだ、父さんなんか大っ嫌いだ!」

僕は家に帰るのが怖くなってきた。

きっと第三者が見たら、父さんが八つ当たりするのに備えて、僕に黙っておくようにアドバイスすると思う。

僕は父さんをお茶に誘うことはそんなに多くなかったけれど、お茶を一緒に飲むのは、僕たちと父さんが話をするお決まりの方法だった。
父さんがいるだけで、そこは緊張した空気が流れていた。

父さんを怒らせるのは、何が引き金になるのか、誰も確信が持てなかった。
仕事でうまく行かなかったのか、或いは、まだ終わらせていない仕事があるのか。



ある日、僕はポルノ雑誌を建築現場のスキップで見つけた。


▼参考画像「スキップ」
大きな鉄の容れ物で、粗大ごみや廃材を入れておく。




父さんがそれを見つけて、わざわざみんなの前で、その雑誌を広げたんだ。
たぶん、僕に恥をかかせようとしたんだと思う。

僕は父さんを罵った。
「ほっとけよ。父さんの曲がった根性が大っ嫌い」

父さんは僕を二階まで追いかけて、トイレのドアを激しく叩き始めた。
「出てこい!」

ついに父さんは拳でドアをぶち抜き、乱暴にドアを引き開いた。

僕は父さんの横を、走って通り抜けようとした。
父さんは腕を大きく横に広げて、僕を捕まえた。

そのはずみで、僕はつまずいてしまい、そのまま階段を転がり落ちた。
勢いもそのままに、階段下に置いてあるラジエーターに、頭を強かに打ち付けてしまった。

僕は叫んだ。
「父さんがやった事を良く見てよ!」

僕は顔に、頭から血が溢れて、頬を伝うのを感じていた。

父さんはパニックに陥った。
「すまん、せがれ。すまなかった」

僕は裸足のままドアの外へ飛び出して、女友だちのルースの家へ駆けこんだ。
端から見れば、僕は車に轢かれたように見えたにちがいない。

ルースのお母さんは離婚していて、気前が良い人だった。
ルースのお母さんは、一連の出来事に憤慨してくれ、ここにいて良いよ、と言ってくれた。
結局、僕は四日間、ルースの家に隠れていた。

もう家には帰りたくなかった。

どうやったのか、母さんが僕がここに隠れていることを突き止めて、見つかってしまった。
僕は母さんに、二度と父さんが僕に手を上げない、と約束しない限りは、ぜったい家には帰らない、と訴えた。
その時の僕は、もう14歳で、赤ちゃんのような扱いを受けるには大きすぎたけれど。

父さんは電話で、ひたすら僕に謝っていた。
だから僕は、シューターズ・ヒルの我が家に、おっかなびっくりだけど帰ったんだ。
本当に父さんは、自分の言った言葉を守って、二度と僕に手を出すことは無かった。

大声で怒鳴り散らしたり、がなり立てるのは続いたけどね。

僕は、出来るだけ父さんの邪魔にならないように、家の外で過ごした。
友だちの家に入り浸ったり、大きな家を見ながらブラックヒースを歩き回ったり。

ウィンドウショッピングもしていたな。
自分だけの「買いたいものリスト」を想い描いて、家具屋の窓から展示品を見入ったりしていた。

僕はお金をたくさん稼いで、母さんが本当に欲しい家を買おうと考えていた。
何もかも完璧に、建築家のガラクタなんか一つも置かずに。

父さんは、長い間穏やかではいたけれど、だからと言って、仲良くしたり、気を許すのは難しかった。

父さんの愛情表現ときたら、頑固で偏屈で、しかもいつも気が狂ったように爆発したあとにしか見せなかったから。

父さんが何気なく、僕の身体に腕を回そうとしたとき、僕は怯えた犬のように縮みあがる始末だった。
だから、どんなに他意が無かったにしても、誰かが僕にふれるのを避けるようになっていた。

もし、友達と一緒に道路を歩いている時に、友達が僕に近寄り過ぎてしまったら、僕は動揺してしまい、いつも身を引いて離れていた。
「僕にさわらないで、さわっちゃダメだ」



僕は、努めてストレート(異性愛者)であるかのように振る舞っていた。

肉体関係にはならなかったけれど、僕には彼女がいた。
ローラ・マックラハランが、最初の公認の彼女だった。

金色の髪を小さく束ね、舌足らずで、隣の学校のエルタム・ヒルに通っていた。
ローラは僕を校門の外で待っていたくれた。

多くの『お盛んなクソ野郎ども』は、彼女に恋をした。
そいつらには、ローラが僕の中に何を見出したか、なんて理解できないだろうね。

僕とローラは手をつないで歩いた。
彼女はすごくかわいくて、僕をいじめた奴らよりも、僕は一歩先を行くような気分だった。

ローラは「チャーリーズ・エンジェル」の一人に似ていて、外にはねたフリンジのハンドバッグ ― バッグの口からは、金属の櫛が突き出ている ― を持っていた。


▼参考画像「チャーリーズ・エンジェル」取り敢えず70年代のもの。





僕は、4つボタンで、ハイウエストで、裾が広がったズボンを履き、アクリル繊維のグリーンで、タック・ネックのシャツを着て、裾はズボンの中に入れていた。


▼参考画像「タック・ネック」首周りにタックの入ったシャツ。





僕がいとこのティナのところへ、ベビーシッターをしに行くときは、ローラも連れて行った。
まさしく二人は完璧な付き合いで、見事なまでに、何も起こらなかった。

軽くキスをしたり、寄り添って抱きしめたり、お互いをさわったり、撫でたりしていた。
ローラは僕に負けないくらい受け身だった。

僕に必要だったのは、ブレンダ・リッチーのような、初めから終わりまでリードしてくれる女の子だった。
(訳注:ブレンダ・リッチーはジョージの初体験の相手)


その他に付き合った女の子は、シェリー・ユーゴで、同じエルタム・グリーンに通っていた。

シェリーは小さくて、丸顔で、縮れ毛の女の子だった。
そして、優雅な声をしていたせいで、目を付けられて虐められていた。
気取り屋、ホモ、パキというだけで、大罪を犯した罪人なんだ。

これでも僕は、自分からガールハントをしに行ったことは無いよ。
彼女たちから、僕のところに来るんだ。

微笑みひとつ、単なる噂が、学校のちょっとしたゴシップになる。
「シェリー・ユーゴはお前に惚れてる」

僕はシェリーを学校の近くで見かけたことがあった。
彼女はいつも、僕に微笑んでくれた。

この絶望的なまでに、恥ずかしがり屋の僕と彼女がどうやってくっつくかは、神のみぞ知ることとなる。

僕はいつも口先だけだった。
先生に生意気な口を叩くときと、遊び場でたむろしているときには。

だから、いざロマンチックな状況に直面すると、僕は自分が粉々になったように感じた。


シェリーはルイシャムに、母親と二人の姉妹と一緒に住んでいた。
シェリーの家は「モダン・オープン・プラン」の造りだった。
インテリアは革のカウチ、シープスキンのラグ、ペーパームーンのランプなど。


▼参考画像「モダン・オープン・プラン」近代的なデザインで、開放的な造り。





僕んちは、そんなお洒落な家じゃなかった。
確かにシェリーの家はきれいだと思うけれど、そこでリラックスできるかは別だ。

シェリーの母親、ユーゴ夫人は、僕たちが正面の部屋に座っているのが気に食わなかった。
そのフカフカのラグに踏み込んで、足跡を残そうものなら、シェリーはすぐさま振るって広げ、跡を消していた。


僕たちは、目障りにならないように寝室で過ごした。
寝室には、デヴィッド・エセックスの大きなポスターが貼ってあり、僕たちをじっと見下ろしていた。


▼参考画像「デヴィッド・エセックス」イギリスの歌手、俳優。





彼女はデヴィッド・エセックスの熱狂的なファンで、僕はルイシャム・オデオンで開催された彼のコンサートに引きずって連れていかれた。

シェリーと抱き合って、それ以上に発展することはあったけれど、結果的に今までとあまり変わらなかった。

僕はシェリーのブラジャーの中に指をすべり込ませると、自分が興奮しているのが分かった。
でも、シェリーは僕にブラを外すまでは望んでなかった。
これが、僕が女の子に欲情して勃起した、最初のことだ。

もっと、身体の関係を進めたいと願った、でも出来なかった。
僕の身体が付いてきてくれるか、それが怖かったんだ。

シェリーをギュッと強く抱きしめて、身体が自然に反応してくれないかと期待するばかりだった。


シェリーに生理が来なかったとき、僕たちは大笑いした。
シェリーの母親は、もしかして僕が彼女を妊娠させたと思っていた。
彼女を妊娠させたかもしれない候補者の一人になったことで、僕は誇らしい気持ちでいっぱいになった。

シェリーの親友の、トレイシー・カーターは、僕たちが9カ月も付き合っておきながら、お互いさわり合うだけで、それ以上の進展がないことに驚いていた。

トレイシーは、僕がオナニー小僧だと思っていて、いずれにせよこの件で確信につながったようだ。

トレイシーとシェリーの二人は、5歳の頃からの友達だったのに、シェリーが僕と付き合い始めてからは、仲違いをしてしまった。

トレイシーは強気で付き合いにくい人物だ。
スージー・クアトロのフェザーカットの髪型をして、腰のくびれた床までの長さのあるデニムのコートを羽織り、破れたスニーカーを履いていた。


▼参考画像「スージー・クアトロ」アメリカの女性ロックミュージシャン。





彼女は、スーザン・スレッジと、ティナ・パーメンターと共に、学校のトラブルメーカーの一人だった。

学校の中央広場の屋根に、使用済みのタンポンが散らばっていたら、彼女たちが真っ先に疑われた。
トレイシーは学校の制服に、インクでバンドの名前を落書きして、スカートには狙って「BUM」の文字を書いた。
(訳注:「BUM」は英字辞書にて、「ケツ、怠け者」などの意)

トレイシーはシェリーが「乙女」過ぎて、それはとてつもない罪だとして、彼女の優雅な声をからかいの的にした。

シェリーはいつも、往来にある店の看板を読みあげていた。
「ウールワースの…、リー・グリーン通り…」

トレイシーは残酷にも彼女の真似をしたり、シェリーを「ウィンピー」や「バーガー」と呼んでいた。
(訳注:「ウィンピー」は、ハンバーガーチェーン店の名前)


彼女はシェリーに悲しみを負わせ、人生を不幸なものにしてしまった。
トレイシーは僕に対しても、不愉快な態度を取った。

僕は「太ったケツ」と言われるのは好きではなかったけれど、彼女のタフな所が好きだった。


1975年の終わりに、デヴィッド・ボウイが「ステーション・トゥ・ステーション」ツアーを発表した頃に、物事はぎくしゃくし始めた。
僕たちは、6カ月後には、良い席が欲しかった。

トレイシーも来たがっていたし、どうやって彼女を我慢させるかも分からなかった。
僕は一時休戦を呼びかけ、彼女の分のチケットを買ってあげることにした。
トレイシーは僕にお金を払う、と言ったけれど、ついに払わずにいる。

その件があって、僕とトレイシーは親友になり、それと同時に彼女は、僕とシェリーの間の、恋のお邪魔虫にもなり、それはシェリーとって大いなる頭痛の種となった。

トレイシーが間に入って、どうにも行き詰まっていた恋愛関係から、僕は脱け出すことができた。

僕はシェリーが好きだったし、彼女は優しくて忠実な友達だ。
だけど、シェリーが僕に求めたものは、決して僕が彼女に与えられないものだった。

僕の頭の中で声がして、どんどん大きく響いていく。
「発射しろ、僕のムスコ。いびつな種をバラ撒くんだ」

分かってる、僕はゲイだ。
男の子の色鮮やかな夢を見ては、夢精したこともある。


トレイシーは身も心も完璧に女性で、気の合った仲間だった。
トレイシーは独立心があったし、タフで、僕に対して何の気も抱いていなかった。
彼女は、自分自身が醜いと思い込み、ピンク色やセンチメンタルなものを嫌悪していた。

放課後に、僕はトレイシーの家に行った。
そこは、黒パンとアールグレイを出す喫茶店だった。

パンは、僕が見慣れたスライスしたやつじゃなくて、焼きたてで丸のままで、バターも本物で、ストーク社のマーガリンなんかじゃなかった。


▼参考画像「ストーク社のマーガリン」バターではない。





僕たちはトーストを焼き、お茶を淹れ、レコードを聴いた。
心穏やかな空間だった。

僕は母さんに「ねえ、どうして僕の家では切ったパンじゃなくて、黒パンを出せないの?」と聞いた。
母さんはぴしゃり、と答えた。
「ナメた口叩くんじゃない。ここが気に食わないんなら、トレイシーの家にお行きな」

トレイシーは僕に、多大な影響を与えた。
ボブ・ディランと、政治について、僕を夢中にさせたんだ。

彼女は何度も繰り返してディランの歌「ハリケーン」を流し、殺人の罪で投獄された黒人のボクシング・チャンピオン、ルービン〝ハリケーン"カーターの話を聞かせてくれた。


▼ルービン・カーター。殺人の容疑で逮捕され、陪審員が全員白人だったことから、有罪判決が下り、終身刑に。ディラン氏の歌の他に、映画「ザ・ハリケーン」がある。






僕たちは、キャピタル・ラジオ・ヒットラインに電話を掛けて、ボブ・ディランを流すように投票した。
声色を変えて、また電話して、票を水増ししたり。

ボブ・ディランが常に1位にいる様に、僕たちは、さながら宗教のように聴き続けた。

ディランのアルバムは、トレイシーのお母さん、リタが持っていた。
リタは、夫であるトレイシーの父親と離婚協議中で、父親は家の中で知らない人のように住んでいた。

リタはヒッピーかつ変わった人物で、非協調主義者(訳注:社会や体制に従わない人)だった。
彼女は共産党に属し、ベトナムの解放へ向けて働いていた。

あるクリスマスには、僕とトレイシーはリタのお手伝いで、彼女の活動のために、封筒を舐めて、封入と封かん作業をしたんだ。

リタという人は、本当に謎だった。
リタは家でほとんど見かけなかったし、それは一緒に住んでいるはずのトレイシーも同じだった。

僕はトレイシーが家に一人でいるのが妬ましくて、僕が彼女だったらいいのに、と願った。
孤独な彼女が、どんな思いをしているのか、知りもしないで。
トレイシーは、自分の気持ちを、怒りの感情でもって隠していた。


僕は早々に、ロンドン南東部にある僕の家では物足りず、それ以外の生き方を見出し始めた。
僕の家とは違うパン、違うバターなど、生活そのものにおいて、僕は現状では満足できなかったんだ。

僕は旅に出て、あちこちを見て回り、見聞を広げたいと思った。
僕が電車に乗ったときは、窓の外で輝く、何百から何千もの家の灯りに見入っては、あの明かりに住む、何百万もの人たちについて、あれこれ考えを巡らせていた。

僕の知っている人が住んでいるのかな?
あの中に住んでいる人は、僕を知っているだろうか?


1976年の5月のこと。
僕はボウイに会うために、ビクトリア駅にいた。

ヒトラーを擁護する発言を行い、ファンの前でジーク・ハイル(訳注:ドイツ、ヒトラー時代に盛んに行われた敬礼)をやってのけ、ベルリンにひっそりと逃れた、デヴィッド・ボウイが戻って来る。

僕は防護柵から頭を突き出して、大声で叫んだ。

ボウイはベルリンに滞在しながら、ジギー・スターダストから、シン・ホワイト・デュークの間に染まっていたドラッグから脱していた。

彼は、オールバックに撫でつけた髪型、真っ白なシャツ、先細のズボンという出で立ちだった。


▼参考画像「シン・ホワイト・デューク」時代のデヴィッド・ボウイ。






僕はその格好を真似て、父さんの白いシャツを着て、髪にグリースをテカテカに塗り付けた。
その格好で、コンサートにも行ったんだ。

シェリーが着ていたのは、木こりが着るネルシャツの古着とジーンズで、なんとか妥協してリップグロスだけ塗っていた。

トレイシーの装いは、ギリシアの兵士のようで、その服はシェリーの母親の衣装ダンスの中から、くすねてきたものだった。

それなのに、トレイシーはその服にライビーナをこぼしてしまったんだ。

シェリーは気が狂ったように叫んだ。
「なんてこと!母さんに殺されるわ!」


▼参考画像「ライビーナ」黒スグリのジュース。





僕たちは頑張ってきれいにして、シェリーの母親に見つかる前に食器棚へ戻すことに成功した。
(訳注:衣装ダンスではなく、食器棚?
ライビーナを食器棚に戻したんだろうか?)



髪をきれいに染め、輝かしくボウイの格好を真似たクローンたちを前にして、僕はみすぼらしかった。
だから、全部の歌を、単語一つひとつまで出来るだけ大声で歌う事で、僕の格好のマイナス分を帳消しにしたんだ。

それからトレイシーと一緒に、曲の合間に叫んだり、口笛を吹いた。
多分、ボウイは見上げて僕たちを見てくれたと思う。


ある酷暑の夏、熱波が来た1976年の事だった。
トレイシーのお婆ちゃんが未亡人になったので、一緒に暮らすため、ウィンブルドンの草原の中に姿を消して、彼女とはそれっきり会えなくなった。

彼女のいなくなった人生は、なんと侘しかったことか。

僕はどうしてもトレイシーに、このエルタム・グリーン学校へ戻ってもらいたくて、手紙を書き続け、彼女を悩ませた。

しばらくの間、彼女は戻ってきたけれど、今度は僕が退学になった。
この豊作だった1年に、僕はトレイシーに会えなかったんだ。

僕たちが再会を果たしたのは、ブラックヒースのバスの中だった。
僕はパンクの格好をしていて、白く染めたツンツンの髪型に、ボンテージ・パンツを履いていた。


▼参考画像「ボンテージ・パンツ」






トレイシーは、今では売っていない60年代の格好をしていた。

キャット・アイライナー、白い口紅、ハチの巣の髪型、まるでダスティ・スプリングフィールドの古い洋服ダンスだ。


▼参考画像「ダスティ・スプリングフィールド」イギリスのミュージシャン。
トレイシーの格好は、こんな感じ。





彼女は今、友人宅の庭にある小屋に住んでいる、と語り、今はブライアンと呼んでいるルイーズ・ブルックスのボブカットをした格好良い男とデートしているところだった。


▼参考画像「ルイーズ・ブルックス」アメリカの女優。ボブカット(髪型)がトレードマーク。





二人は、独自のビートニクのグループに入っており、アコースティックギターと、マラカスを持ってヨーロッパ中をアンドリュー・シスターズの歌を路上演奏して回った。

その後、トレイシーとブライアンは、デプトフォードにある公営の台所付きの部屋へ引っ越した。

僕は、暇さえあれば彼らの元を訪れて、トレイシーの旅物語と、政治的な主義に耳を傾けていた。
彼女はマーガレット・サッチャーを猛烈な勢いで嫌っていて、それについては僕も納得している。

思えば、学生だった頃から、トレイシーは僕の人生に出たり入ったりしていたな。

彼女は、僕がいたスクワットのひとつを引き継いで住み、それから僕たちはまた、連絡を取らなくなった。

名誉、ドラッグ、アシッド・ハウス。
僕の身の上には、色んなものが駆けて行った。

(訳注:「アシッド・ハウス」とは、狭義にはアナログシンセサイザーの変調効果を多用したエレクトロニック・ミュージックを指す。広義では、1987年頃からシカゴやロンドンで同時多発的に始まった)


1990年に、僕は出掛けたレイヴで、トレイシーとばったり出会った。
(訳注:「レイヴ」は音楽のイベントやパーティの事)

彼女はへそ出しルックをしていて、ちゃんとした女の子に見えた。

最近では、トレイシーは自分自身を「ミス・カーター」と呼んでいて、相変わらず輝いている。
彼女はスペイン語と、ラテンアメリカの研究で学位を取得していた。

二人とも、劣等生の烙印を押した校長が間違っていることを証明したかのようだった。




第七章、ここまで。






2020年8月16日日曜日

See What A Fool I've Been - Queen 和訳

See What A Fool I've Been - Queen 和訳


「シー・ホワット・ア・フール・アイヴ・ビーン」は、ブラインアン・メイが、クイーンの前身バンド、スマイルに在籍している頃に書いた曲ですが、実は、元になった曲がありました。

しかし、肝心の元になった曲名がずっと分からなかったらしく、メイ氏や、スマイルのボーカルであるティム・スタッフェルの中で、長い間の「謎」となっていました。


やっと、2001年6月のブライアン・メイのオフィシャルサイトにおいて、ティム・スタッフェルいわく、Sonny Terryソニー・テリーとBrownie McGheeブラウニー・マギーの ”The Way I Feel” が元になったと公表しております。

2001年8月の記事によると、メイ氏は

「ずっと元の曲がなんだったのか分からなかった。
僕たちは、お金を払いたいから、誰の曲かを知りたかった」

とあります。

律儀にも、権利をお気になさっていたのですね。


※この部分、ねこあるきはサイトを拝読しながら書いておりますが、勝手に引用する訳にはいきませんので、詳しくは、オフィシャルサイトをご参照ください。

サイト内の検索ワードは「Sonny Terry」で、2001年6月と8月の記事です。


では、「謎」と言われた元曲、ソニー・テリーとブラウニー・マギーの「The Way I Feel」を、ご参考までにお聴きください。

▼確かにそっくりです。





この問題の所為でしょうか?関係性は不明ですが、「シー・ホワット・ア・フール・アイヴ・ビーン」は、1974年のレコードには収録されていて、ライヴではしょっちゅう演奏されたのに、クイーンⅡの通常版CDに収録されていません。

ようやく、クイーンⅡのリマスター版で、デラックスエディションのボーナスEPとして入っています。

これからクイーンⅡのご購入をお考えの方は、ご注意を。


★ ★ ★


前置きが長くなりましたが、さて、本題です。

ブルースにのせてフレディが妖しく、女性ボーカルのように艶やかに歌います。
あまりにも妖艶なので、不覚にもドキッとしてしまいます。


歌詞に「little dog 小さい犬」と出て来ます。
おそらく「Puppy 子犬」のことだ、と解釈しました。

ちなみに「Puppy」は男性に対して呼びかけるときに使います。
イメージ的には無邪気で、あどけない顔をした男性です。

途中で「sailor boy 水兵の少年」と呼び掛けていますから、まだ年派の行かない水兵の男の子でしょうか。

しかし、「she's gone 彼女は出て行った」から始まるので、ねこあるきは、男性からの視点と、女性の視点が混在しているものと解釈しました。

少年水夫と、年上のお姉さんの恋物語、という解釈です。


実は、この「シー・ホワット・ア・フール・アイヴ・ビーン」は、2つの歌詞があって、ひとつは1974年「輝ける七つの海」のB面に収録された「Bサイドバージョン」と、もうひとつはBBCで演奏された「BBCバージョン」があります。

ずっと気になっておりましたので、2つとも和訳しました。
まずは、通常の「Bサイドバージョンです」


▼2011年リマスターの、Bサイドバージョン。クイーンオフィシャルの音源です。




See What A Fool I've Been (B-side ver.)
和訳


(男性視点から)

Well, she's gone dear
あのひとは行っちまったんだ

Gone this morning, mmh yeah
今朝方にね、いやぁ

Ow, see what a fool I've been 
このバカを見てくれよ

- oh Lord, cootchie coo
ああ神様 (かわいちょうね、よちよち)

What a fool I've been
なんてバカ野郎だ

Yes, I dig it
そうさ、僕ぁやらかしたのさ


Too much
参ったよ

Didn't leave me-me no letter, 
書置きひとつも残さず

didn't leave no warning
前ぶれだって無かったんだ

You naughty thing, you
どうせ単なるイタズラだって?
違うよ

Ooh - well I guess I am to blame oh lord
多分だけど、僕が悪かったんだよ
マジで

I guess I'm all to blame -
全部、僕が悪かった


(女性視点)

see you later, sailor boy
じゃあまたね、水兵くん

Child, right now you take it
ぼうや、今はこらえてね


Hope my little dog ain’t too hungry
あたしのいい子が、ひどくお腹をすかせてないと良いんだけど

No, no, he just kept on barking, 
ダメダメ、どうせ今のあいつは正気じゃないわ
きっとわめいてるのよ

the vicious thing
危ない、危ない

Just don't seem the same
いつも通りじゃダメなのよ

oh no no
もう、イヤになる

It just,
そりゃあね

oh tantrums,
カッとして
黙って出て来ちゃったけど

it don't feel the same
同じことの繰り返しはもうたくさん

Ooh, see you later
じゃあバイバイ

Now hit it, like that
さて、行くとするか

Coming on strong
たくましくなって、出直しておいで



(男性視点)

Oh, well
どうなってんだ

I got so lonely
僕ぁ独りぼっちだ

Went and told my neighbour
お隣さん所に行って、今までの事を愚痴ったんだ

She said "Ah ooh ooh ooh ooh"
そしたら彼女は言ったんだ
「あらあら、まあ、まあ」

Oh Lord
ああ、神様

What a fool I've been
このバカ面を見てやってくれ

And she told what to do
She said
彼女、ピシリと言ったんだ

 "Go home"
「帰って」



Well she's gone - 
そうさ、あのひとは出て行っちまった

gone this morning
今日の朝早く、僕の寝てる間に

See what a fool I've been, oh lord
僕はとんだお笑いものだよ
マジかぁ

What a... foo-oo-oo-oo-oo-oo-ool... I've been
僕は、なんっっってバカ野郎なんだ




以上です。


「僕が悪かった」と言えば、同じブライアン・メイの「イッツ・レイト」にもありますね。
そういう経験がたくさんお有りなのかと、下衆な勘繰りをしてしまいます。


歌詞の「coochie-coo クーチー・クー」は、赤ちゃんをあやすとき、くすぐって笑わせるときに言う言葉です。

日本語で言うなら「こちょこちょ」ですが、「おお、よしよし」とか、「いい子、いい子」の意味も含まれるので、合いの手として和訳しました。



では、続いてBBCバージョンです。
おそらく、出て行った女性の視点がメインになっているのだと思います。

ちょっと、聴いてみましょう。本当に歌詞が異なります。

▼See What A Fool I've Been  (BBC Session)






See What A Fool I've Been (BBC Session)
和訳


(男性視点)

Well she's gone
あいつ、出て行ったんだ

Gone this morning
今朝早く

See what a fool I've been
この俺のマヌケ面を見てくれよ

Oh Lord, I said
そうさ

What a fool I've been
俺がバカだったんだ

Wow


(女性視点)

I caught a train
汽車に飛び乗ったの

A train to Georgia
ジョージア行きの汽車に

Sixteen coaches long
16両編成の汽車なのよ

Oh Lord, I said
そうよ

Sixteen coaches long, yeah
客車と貨物車がつながった、長い汽車に乗ったのよ

Wow



I walked out
あたしはいきなり飛び出して

Onto the highway
ハイウェイを、ただ歩いた

Oooh, ow, ow, ow, ow
足音だけが聴こえて

Oh Lord, I said
ああ、どうしてこうなったの

Greyhound bus had gone
グレーハウンドのバスが通り過ぎたわ

Wow, surprise to me
ねえ、あんた
突然現れて、あたしをびっくりさせて

Now hit
じゃないと、本気で出て行くわ


Woooh

I walked out
もう、お仕舞いね

Onto the highway
長いハイウェイの道を独りで歩く

Greyhound bus had gone
グレーハウンドのバスがあたしを追い抜いた

Oh Lord, I said
ああ神様、そうよ

Greyhound bus had gone
グレーハウンドの長距離バスが、
音を立てて遠ざかって行くのを見送った

It went a long time ago,
ずいぶん長い事歩いたわ

sure did
ここはどこかしら


Wow


(男性視点)

Oh, well she's gone
あー、あいつ行っちまったよ

Gone this morning
つい今朝方にね

See what a fool I've been
俺がバカだったのさ

So long 
これで終わりなのか

I said 
そうさ

what a fo-oo-oo-oo-oo-oo-oool I've been, 
俺は本っっ当の、バカ野郎だ

ooh
Ah




以上です。



歌詞のグレーハウンドのバスとは、グレーハウンド社の長距離バスのことのようです。

▼ご参考までに。




男性は、ぼんやり嘆いていないで、女性を追いかける気概を見せてくださいよ。

女性も、追いかけてくれるのを期待しない方が良いですよ。

お互い、黙っていても伝わるというのは幻想です。
思うよりも人間は器用ではなかったりします。

と、老婆心ながら思いを馳せる、ねこあるきでした。



おまけ

そんなわけで、おまけです。
この曲は、ライブの定番だと言われている割に、映像が全然ありません。
なんてこった。

仕方なく、音源だけを掲載します。

▼クイーン公式から、1974年3月、レインボー座です。



▼同じく公式から、1975年ハマースミス・オデオン座です。



▼1975年5月1日、東京公演です。
「ありがとう、東京!」とフレディのMCが入っています。



さすが、定番だけあってブートレグ音源ならYouTubeで探すと、いろんなステージで演奏されているのが見つかります。

個人的には、東京公演のがやっぱり好きです。