2019年3月23日土曜日

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第三章

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第三章


第三章は、ジョージ・オダウド少年が小学校へ入学します。
相変わらずのジョージ節です。




CHAPTER 3
第三章



僕は新品のパリッとした制服を、グレーでフランネルの半ズボンと、揃いのジャンパー、白いシャツ、学用ネクタイ、それと帽子をぐるぐる巻きにした。

他の子たちはそれぞれ、名札を自分の服に縫い付けていた。
なぜ、僕はそうじゃなかったのか不思議だ。
多分、母さんは僕の服をよそへ譲るつもりだったからだと思う。

それは僕の、ミドル・パーク小学校での最初の日のことだった。
クラスのみんな泣くか、叫んでいた。
そこには、鼻水を垂らした中国人の男の子がいた。

おかげで僕は、自分の瓶入り牛乳を飲めなかった。
だから、鼻をすすったり、鼻を出しているその子を、出来るだけ視界に入れないようにしたんだ。

その子は大抵、小学校では僕と同じクラスだった。
そして6歳になるまで、彼は鼻水を垂らしたままだった。


小学校の、最初の3年間は気楽なもので、絵を描いたり、砂場で遊んだりしていた。
先生は、いつも膝をすりむいたり、泣いている僕たちに、お母さんのように接してくれた
「まあ、みんな。今までで一番上手ね」


僕たちが長ズボンを履くくらいに進級する頃、物事は徐々に悪くなっていった。
僕の担任は、ずんぐりむっくりした女性で、唇が薄く、冗談の通じない、暴君から先生になったような人だった。

突然、僕たちは成長することと、急に態度を改める事を義務付けられた。
この、児童から生徒への変化は、まるでバケツで冷たい水を浴びせて朝起こされるかのようだった。

読み書き、算数。
こんな制度の急変に、成長途中の子どもは目を回した。

僕はまったく集中できなかった。
頭の周りに幾何学模様がくるくる回り、理解できなかったんだ。

未だに何だか分からないよ、どうでも良いけど。
分かったことは、ピタゴラスはベジタリアンだってこと。
直角三角形の斜辺は、神はご自身でお求めになる。


成績が落ちているのを理解しなかったにしても、僕は何も考えなかった。
学業の面では、僕はやる気がなかったんだ。
今だって、科学技術に対しては同じだし。
購入から5年経って、ようやく洗濯機の使い方を覚えただけ。
それがどう動くのか仕組みに没頭するよりも、床に放り投げてしまいたいよ。


僕は創造力があった。
芸術を愛し、英語や(文法ではなくて)、小説や詩を書いた。
もちろん、誰が教えても絶望的であっただろう科目がいくつかはあった。

そんな時は、そこで何かアイディアが無いだろうかと思いながら授業を受けていた。
嫌いな科目を僕たちに受けさせるのは無意味だといつも思っていたんだ。


僕は水泳でトップの賞を取り、チームのメンバーに選ばれた。
彼らがもっと真剣に取り組んで欲しいと僕に求めたとき、僕は逃げ出した。
選抜に勝ち残るだなんて、興味が無かったんだ。

もし君が、スポーツが得意だったなら、君は脳死状態になれるだろうし、そんな君をいっそう、学校は誇ってくれるだろう。
「もっと先へ、もっと前へ」


ミドル・パークの学校は、僕の家から歩いてたった3分の所にあった。
そのせいで、僕たちはいつも遅れて行った。
僕たちを起こして、ベッドから出すのは難題だ。

僕らは全員、朝が大っ嫌いだった。
くさい息と、むくんだ顔のまま、朝食のテーブルの周りでくだらないことで言い合いをしては、怒鳴りあっていた。

母さんは僕たちに、ポリッジ(訳注 オートミールのお粥)を作ってくれた:
いつも一貫してポリッジだったけれど、母さんの気分次第で変わることもあった。

僕はクリーミーでなめらかで、てっぺんに砂糖をたくさん振りかけてあるのが好きだった。
しょっちゅう、誰が最初に牛乳を使うかで奪い合いの喧嘩になっていた。

「母さん、母さん、牛乳がもう無いよ」
そのうち一人が、頭をベシッと叩いた。
「騒々しいったらないね、静かにおし。朝食を食べたら、学校に行くんだよ」


僕は学校にお弁当を持って行きたかった。
他の子たちみたいに、チーズのサンドウィッチと、チョコレートダイジェスティブが、タッパーの容器に入ったやつを。

母さんは、お弁当まで手が回らなかった。
学校給食は無料で「極めて適正」だった。

だから僕はお弁当の代わりに、ブロークン・ビスケットを詰め合わせた大きな袋を学校へ持って行ったが、それは送りで付き添っていた母さんを非常に悩ませた。

▼参考画像。
ブロークン・ビスケット。袋入りもある。


僕は学校に行く途中でおもらしをして、家に戻らなければならないのが、とても恥ずかしかった。


オダウド家は、ご近所だけでなく学校でも悪評が立てられていた。
先生は僕たちに目を付けていた。
長兄のリチャードの、普通ならざる経歴のおかげで、僕たちは何に対しても咎めたてることとなった。

母さんはいつも、学校に電話を掛けていた。
ある朝、ジェラルドとデヴィッドは全体集会のとき、みんなの前でムチで打たれたんだ。
僕は座って見ていなければならなかった。

母さんは校長先生のところへ勢い込んで来た。
校長先生は、母さんをなだめようとして「祖国を思い出してください」と言った。
(訳注:"Remember the Old Country"が原文。何を意味するのか?)

母さんは先生に言った。
「私の前で『祖国』と口にしないで下さい。もし、私が淑女でなかったら、このハンドバックであなたを打っているところですよ」


僕がクラスみんなの前で、ホッブス先生に対して「失せろ」と言ったときに、先生から平手打ちをされた。
余りにも強く打ったものだから、くっきり赤々とした手形が残った。

子どもの頃から、僕は敏感肌だった。
誰かが僕を軽く叩いただけで、たちまち「みみず腫れ」になってしまい、予想以上にひどく見えた。

ホッブス先生は泣き叫び始めた。
僕は先生に申し訳なく思ったけど、盛大にひと悶着起こす方を選んで、トイレに鍵をかけて閉じこもった。


オダウド家は、大家族で、結束の強いアイルランドの家族であると言われた。
僕ら家族を親密にした唯一のことは、スペースの欠如、つまり家が狭いことだった。
今まで一度も、まともな休暇を一緒に過ごしたことは無かった。

僕たちが海辺に行けば、決まって雨が降った。
僕は砂浜なんか大嫌いだ。
砂が服の中やサンドウィッチに遠慮なく入り込んで来るし。
お日さまも出てないのに、砂浜に座り込んでバカみたいだ。
僕はいつも誰かを探して、時間を無駄に過ごした。

僕たちはマーゲートにある、ドリームランド遊園地へ行った。
全部乗るための十分なお金が無かったから、乗り物に乗るには順番を待たなければならなかった。

訳注)2019年現在、まだ運営している。
▼マーゲートのドリームランドのホームページ
https://www.dreamland.co.uk/



乗り物に乗っている時、僕はおなかの辺りをぐるりと回転したので、ポケットのわずかなお小遣いをバンパー・カー(訳注:ぶつけあって遊ぶ電気自動車)に全部落としてしまった。


僕ら男の子は、常にお互いをしつこくからかっていた。
誰かは、やり過ぎていたくらいだ。
誰一人として、そっとしておくという度量を持ち合わせていなかったんだ。

僕は泣いて逃げていた。
僕を泣かせるのは、いとも簡単な事だった

僕はお前たちなんか大っ嫌いだ、と叫び、二度と戻って来るもんか、というつもりで逃げ出していた。
いつも大袈裟すぎるくらいに。

僕はずうっと、逃げる事ばかりを考えていた。
父さんと母さんが喧嘩をした時も、君はドアがバタン!と強く閉められたのを聞き、そして何時間も僕がいなくなっているのが分かるだろう。


父さんは僕たちをケント州のはずれにあるディールまで、釣りに連れて行ってくれた。
みんなバンにあらゆるものを詰め込み、我先に助手席に座ろうと喧嘩した。
助手席以外は、後ろの雑然と積み重なったガラクタと一緒にされた。

父さんは時々、歌を口ずさんでいて、誰も知らない、軽妙で古い歌だった。
父さんの歌は、心をくすぐるものだった。

そして窓から顔を出して「良いかい、愛しい人」と叫んでいた。
外で庭いじりをしていた老婦人が聞きつけ、顔を強張らせてこちらを見上げている。
それを見て僕たちは大いに笑った。

僕は釣りが本当に嫌いだった。
釣り糸を垂らしてすぐだったら、楽しいように思うんだけど、僕はすぐに飽きて、帰りたい、とぐちぐち不平をこぼした。
僕は父さんのバンの助手席にだらしなく座り、ダッシュボードに足を載せ、腕を組んではふくれっ面をしていた。


僕が6歳の頃、ケヴィンと僕はバースにいる家族のもとで滞在するために、送られた。
グリニッジ自治区協議会は、恵まれない子供たちへ休日の機会を与えるべく、施策を立てたのだった。

母さんは僕たちを疎開者のような格好をさせた。
ショートパンツに長靴下、ネクタイとキャップ帽子、海軍のマッキントッシュ(濃紺のコート)の襟の折り返しには、住所が書いた下げ札が結び付けられていた。

電車がホームに来ても、まだ母さんは手につばを付けて、僕たちの顔の汚れを拭っていた。
母さんが望んでいるのは、僕たちが良い家庭で育っている子だと人々に知ってもらう事だ。

僕たちは驚きと好奇心に満ちて、バースにほど近い、バスフォードに付いた。
僕とケヴィンが滞在していたのは大邸宅で、チューダー様式の木造の梁があり、ツタに覆われている家だった。

▼参考画像
チューダー様式の家と、木造の梁





そこは焼きたてのパンの香りと、牛糞のにおいを漂わせていた。
車の騒音は一切聞こえなかった。
上流階級の家族だったけども素敵だった。

その家庭には4人の実子がおり、男の子が2人と女の子の2人だった。
子どもたちは揃って礼儀正しく、甘やかされていなかった。
彼らは奪い合いにならず、何でも分け合っていた。

バースで僕は幸せに過ごしたけれど、もう行きたく無いな。
僕は自分のみすぼらしさを恥ずかしく思ったし、彼らに好かれていないんじゃないかと心配していたんだ。

みんなでピクニックと日帰り旅行で、城址へ行った。
彼らは僕たちにハチミツのサンドウィッチを作ってくれて、僕とケヴィンは、それが酷い味だと思いつつも、礼儀正しく、ゆっくりと食べた。

4人の子どもたちは、僕らと変わらない年齢だったにも関わらず、彼らの両親は自分の子に対して、大人であるかのような話し方をしていた。
それってヘンだよね。
僕は、なぜ同じような家族が持てないのか、不思議に思った。
僕たちはその後、2、3回くらい滞在していたけれど、僕は自分の家に帰るのが楽しみだった。


ある年は、僕たちは子供のいない老夫婦の家に滞在することになった。
老夫婦の夫は、ダーツボードの修理を仕事にしていた。
彼は、よく僕たちを田舎まで引っ張り回し、パブ(大衆酒場)からパブへ、彼が仕事に取り掛かるのと、一杯引っ掛けている時は、僕たちをバンに残したままにしていた。

彼らは僕たちを怒鳴りつけ、早いうちにベッドに入らせた。
ただ一つだけ良かったのは、奥さんのマカロニチーズと、夜遅くに食べるおやつだった。
夫はケヴィンを平手打ちにして、ケヴィンは逃げ出した。
僕は怯えて泣いていた。

僕たちは二人とも、家に帰りたいと願っていた。
最後にはようやく、他の家族のもとへ送られることになった。


別のかたちで行くこともあった。
ケヴィンとリチャード、それと僕で、ウィルトシャーにある農場へ行ったんだ。
僕たちをお世話する夫婦は、典型的なヒッピーだった。
夫はあごひげをはやして、ギターを弾き、コーデュロイのズボンをはき、奥さん方のは「ニュー・シーカーズ」の一人に似ていた。

▼参考画像「ニュー・シーカーズ」
1969年のイギリスの音楽バンド





彼らは農家の、改装した屋根に住んでいた。
大きな金属のらせん階段があって、屋根まで上がるには、その階段をよじ登らないといけなかった。
僕は落ちるんじゃないかと怖くてたまらなかった。
だから、僕が外に出るときはいつも誰かと一緒じゃなきゃダメだったんだ。

彼らに子どもはいなかったから、屋根の下に住んでいる、農家の子どもたちと一緒に遊んだ。
僕たちは乳しぼりを見るために6時に起き、そして仔牛が生まれるのを見た。

これらの休暇は、僕の人生において特別なひとときとなったんだ。



第三章ここまで





2019年3月18日月曜日

Lazing on a Sunday Afternoon - Queen 和訳

Lazing on a Sunday Afternoon - Queen 和訳


1975年「オペラ座の夜」より、フレディ・マーキュリー作の「うつろな日曜日」です。
この「うつろな」の日本語の使い方、といいますか、"lazy"の訳し方まちがってませんか?と思った方は多いと思います。

うつろな人生」然り、曲を聴いてみれば、全然「うつろ」ではないのに。


さて、この曲はちょっと変わった音がしますが、ブリキのバケツにヘッドフォン(スピーカー)を入れて、その音をマイクで拾って作っています。

歌詞は、どなたが和訳されても大体同じになるくらい、シンプルなものです。
日曜の午後にでも、トライされてみてはいかがですか?


▼オフィシャルの「うつろな日曜日」。約1分とは思えない完成度です。





"Lazing on a Sunday Afternoon" 和訳



I go off to work on a Monday morning
月曜の朝は仕事に出掛け

Tuesday I go off to honeymoon
火曜にはハネムーンに出て

I'll be back again before it's time for sunny-down
日が沈む前には戻ってくる予定

I'll be lazing on a Sunday afternoon
で、日曜の午後はのんびり寛ぐんだ

Bicycling on every Wednesday evening
水曜の夕方には、いつも自転車に乗り

Thursday I go waltzing to the Zoo
木曜は軽やかな足取りで動物園へ

I come from London town, 
僕はロンドンの街からやってきた

I'm just an ordinary guy
ごく普通のヤツなのさ

Fridays I go painting in the Louvre
金曜はルーヴルで絵筆をペタペタ

I'm bound to be proposing on a Saturday night 
土曜の夜はプロポーズしなきゃいけない

(there he goes again)
(あいつ、またやってるよ)

I'll be lazing on a Sunday
日曜はゆっくりしよう

Lazing on a Sunday
日曜は昼まで寝ていて

Lazing on a Sunday afternoon
日曜の午後は羽を伸ばそう




以上です。



いいですね、日曜くらいはゆっくりしたいものです(切実)
忙しい時には、この曲を思い出して乗り切ろうと思います。



おまけ



▼東京公演の「うつろな日曜日」1976年です
(サムネイル画像は79年ですね)
ファンの「ロジャー!」の歓声が聞こえます。




2019年3月14日木曜日

Seaside Rendezvous - Queen 和訳

Seaside Rendezvous - Queen 和訳


1975年「オペラ座の夜」から、ボードビル調の「シーサイド・ランデヴー」です。
ボードビルとは、18世紀の終わり、フランスで誕生したコメディータッチの音楽やダンスのこと。
歌詞にもフランス語が散見されますね。


フレディとロジャーがある日、ふざけ半分に指先でタップダンスを、口を使って管弦楽の音を作って、この曲を作りました。

木管楽器がフレディ、金管楽器がロジャー、指先には裁縫用の指ぬきをはめて、ミキシング台の上でカツカツ音を鳴らしています。

遊び半分で作ったというのに、完成度が高すぎて驚きです。


そして、どの和訳を読んでも、この曲がどんな内容かさっぱり分からなかったので、歌詞から推測してみました。


クレメンタイン
「いとしのクレメンタイン」
アメリカ民謡に出てくる、溺死してしまう少女の名前。
ゴールドラッシュで出稼ぎに出てきた父親がいる。

【推測1】
父親=成金
溺死=想いつつも悲しい結末?


ヴァレンタイン
聖人の名前。
士気高揚のため、若者の結婚を禁止した時代に、率先して若者を結婚させ、投獄される。改宗を拒否して2月14日に処刑される。

【推測2】
禁を破って、愛を貫こうと持ちかけている?


ヴァレンティノ
夭折の銀幕スター、ルドルフ・ヴァレンティノか。
懐かしのラヴァーボーイ」にも出てくる。

【推測3】
君のヒーローになる、僕がここから連れ出す、という意味か?


c'est la vie
「セ・ラ・ヴィ」直訳すると「これが人生だ」
仕方ない、受け容れるしかない、何が起こるか分からない、等の意味があるフランス語。


この単語をキーワードに全体を通して解釈すると

許されない恋をした二人が、海辺で散歩をしながら、旅に出る想像をして楽しんでいる。
最後は覚悟のうえ、本当に駆け落ちする

という展開になりました。


待ち合わせはいつもの海辺で、許されない秘密のランデヴーです。

古い文学作品や童謡には、最後にバッタリ死ぬ、という容赦ない展開が多いので、ここは悲恋であっても、ラブ・コメディと受け止めておきます。



▼シーサイド・ランデヴー。レトロ感がいつになっても新鮮です。





▼実はオフィシャルビデオがある、シーサイド・ランデヴー。







"Seaside Rendezvous" 和訳



Seaside
海辺にて

Whenever you stroll along with me
たわむれに君と歩けば

I'm merely contemplating what you feel inside
決まって気に掛かるのは、君の胸のうち

Meanwhile
答えを出す前に

I ask you to be my Clementine
僕のクレメンタインに成ってくれないか

You say you will if you could but you can't
君の唇が綴るのは
“貴方に出来るなら、きっと素敵でしょうけれど”

I love you madly
狂おしく愛しているのに、恋路はふいに阻まれる

Let my imagination run away with you gladly
手に手を取って、愛の逃避行へ旅立とう
そんな空想を駆け巡らせて

A brand new angle
これから散歩に出た時は

Highly commendable
心で夢想の旅に出よう

Seaside Rendezvous
潮騒を遠くに聞きながら



I feel so romantic.
なんて夢心地

Can we do it again?
もう一度、世界旅行はいかが?

Can we do it again sometime? (ooh I like that)
時には、繰り返し旅に出よう(呆れるほど何度でも)

Fantastic,
そこは素敵な夢の世界

c'est la vie Madames et Monsieurs
紳士淑女の皆様、これもまた人生だ

And at the peak of the season, the Mediterranean
This time of year
この季節の地中海は、今が旬で大賑わい
僕たちもビーチへ繰り出そう

it's so fashionable,
流行気取りで



I feel like dancing in the rain,
雨の中、僕は踊り出したい気分

Can I have a volunteer?
どなたか、ご一緒して下さいませんか?

Just keep right on dancing
そのまま踊り続けるのさ

What a damn jolly good idea -
こいつは、とびっきりの名案だね

It's such a jollification as a matter of fact,
夢も現もまったく楽しい空騒ぎ

so tres charmant, my dear
なんてかわいらしい、僕の恋人


Underneath the moonlight
月の光を浴びて

Together we'll sail across the sea 
帆を上げ二人、海を渡ろう

reminiscing every night 
そして毎晩、旅の想い出を語り合う

(shine on silvery moonlight)
(銀色に輝く月明かりを)

Meantime 
それから

(in the meantime, baby)
(それまでには)

I ask you to be my Valentine
この気持ちを受け取って
僕のヴァレンタインに成ってくれないか

You say you'd have to tell your daddy if you can
君は瞳を伏せて
“貴方に、お父上のお許しをいただけるかしら”

I'll be your Valentino
僕は君のヴァレンティノに成ってみせるよ

We'll ride upon an omnibus and then the casino
二人の恋は、まだ紐解かれない物語
運命と賭けに身を任せ

Get a new facial
姿を変え、ここを出て

Start a sensation
巷の噂になるんだ

Seaside Rendezvous - so adorable,
海辺で待ち合わせ ― 僕の愛しの

Seaside Rendezvous - ooh hoo
寄せる波が足跡を消して

Seaside Rendezvous - give us a kiss
二人で海辺を歩く ― 僕たちに祝福のキスを





以上です。


二人は無事に幸せになれたのでしょうか。
もっとお気楽な歌詞かと思っていたので、衝撃を受けました。


▼和訳字幕付きの動画を作りました(すごく苦労しました)
ヴェラ・エレン、ジーン・ケリー、フレッド・アステア、素敵です。





▼ご参考までに「ボードビル」
コメディ、そして歌とタップダンスは定番ですね。





グーグルプラス機能が無くなるという

グーグルプラス機能が無くなるという


グーグルからメールが来て、あるいはメッセージが表示されて、「グーグルプラスのサービス」が無くなるがどうの、というお話しを(一方的に)提示されておりますので、ご報告です。

ねこあるきのブログ「Blogger」と、いただいたコメントは無くならないです。

とはいえ、ちょっと自信がなく、データは保存しておきます。
もし「Blogger」のサービスが無くなった場合は、どこかに移転を検討しますが、今のところは現行のままです。

このブロガーブログは.xmlという形式らしく、それに対応している無料ブログが中々見つかりませんので、簡単にお引越し、というわけには参りませんが、いずれ、ねこあるきが死なない限りは(しぶとく)続きますのでご安心ください。

それと、有難いことにコメント欄が長くなって参りましたので、掲示板などを設けようかと考えております。

まだまだ勉強することが多くて、これから時代を担うお若い方は大変だなぁと思います。
先日などは、小学生が「パイソン」を勉強しておられました。

年齢を問わず、一緒に頑張りましょう。
今後とも、よろしくお願い申し上げます。


ねこあるき 拝