2020年8月24日月曜日

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第八章

TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第八章


女の子と付き合い始め、思春期のジョージ少年ですが、セクシャリティの悩みもあり、また学校や家においての生活も、息苦しく感じ始めています。
だんだん自我がはっきりしていく過程を読んでいきます。


前回、第七章はこちら




CHAPTER 8
第八章



僕は、セント・ピーターズに住むルース・マクニールと付き合いだした。
彼女は、ペッカム(地名)から来た黒人の女の子の出で立ちをしていて、ゴールドのチェーン、ガビッチのジャンパー、ペンシルスカート、それとエスパドリーユを履いていた。
(訳注:ガビッチ Gabicci1973年に出来たブランドで、モッズをテーマにしている)


▼参考画像「エスパドリーユ」(麻の底、甲はキャンバス地で出来た靴)





僕たちは、グリーンウィッチ市役所で行われている、ソウル音楽を聴く「ソウル・ナイト」へ行き、そのあとロンドンのフォックス・オン・ザ・ヒル(訳注:店名。軽食とバーのお店)で、アーチー・ベル&ザ・ドレルズの「ソウル・シティ・ウォーク」や、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの、「夜汽車よ!ジョージアへ」に合わせて踊ったんだ。



▼参考画像「アーチー・ベル&ザ・ドレルズ」アメリカの、リズム・アンド・ブルースのヴォーカル・グループのこと





▼参考画像「グラディス・ナイト&ザ・ピップス」アメリカの黒人女性歌手。ソウルの女王の異名を持つ。






僕は女の子を目当てに、出掛けていた。
どういうわけか、みんなが女の子と付き合っていると、自分も付き合いたくなるものだ。
おかげで僕は、無意味な痴情のもつれに巻き込まれ続けた。

無意識のうちに、僕はフラフラした女の子をターゲットにしていて、その子たちをいっそう、危なっかしくさせてしまっていたんだ。


ルースは、友達のトレーシー・バーチを、全面的に信頼していた。
「ジョージ、私のそばに二度と近寄らないで」

ルースと僕の間に、肉体的なふれあいが無かったから、ルースは不愉快な思いをしていた。

ルースは、いったい自分のどこが悪いのか、と悩んでいた。
彼女の欲求不満は、いろんな形で噴出した。
「ちっとも私の事、大事にしてくれないじゃない」


たぶん、彼女には何が不満なのか、ハッキリと言う勇気はなかったんだ。
「私の事、好きじゃないのね」

そう、僕たち二人にとって、セックスに関する事は、触れてはいけないタブーだった。

皮肉なことに、彼女が解決を目指すのではなく、不安で悩んでいる間は、僕にとって安全地帯となり、しかし、それはまた頭痛の種でもあった。
僕は何としてでも、病院に行くのを避けた。

トレーシー・バーチのキーキー叫ぶ金切り声に、ルースは決まりの悪い思いをしていた。

トレーシーは13歳だ。

彼女の宇宙船に似た髪型は、ニューエルタムのなかでも最高にエキサイティングで、輝く赤色に、ぱっと見は緑色の、中世のような前髪をしていた。
トレーシーは、自分で髪をカットしているみたいだった。

ルースいわく、トレーシーは外見をバカっぽく見せるとこで、自分を勇気づけてくれるとのことだ。
「そうでなきゃ、あんな見た目をした子と、どうして一緒に出歩けるっていうのよ」


トレーシーが着るものは、みんな黒色だった。
タイトなレオタード、50年代のギャザースカートに、幾層も重なったペチコート、黒いビーズのハンドバッグ、そして先の長くとがったスチレットヒールの靴。

僕はケバケバしいアロハシャツを着て、安いデニム製のワークパンツ、ビニールのサンダルを履き、奇抜な蛍光色の靴下を履いていた。

トレーシーと僕は、揃って目立ちたがり屋だったんだ。

僕とトレーシーには、すぐさま親近感がわいて、それがルースの逆鱗に触れ、また彼女は取り残されたように感じていた。

トレーシーはルースの親友だった。
だからトレーシーは、僕と自分を引き合わせなくて良い、と強く望んでいた。

ルースは、トレーシーがいつか僕を奪おうとしている、と言う。
僕は、そんなつもりは全く無いと言った。
でも、ルースは信じてくれなかった。
彼女が言うには、僕はルースとトレーシーを天秤にかけている、ということだった。

トレーシーはとてもかわいい子だったけれど、僕は彼女を愛してはいない。
僕がトレーシーを好きだったのは、彼女が自分なりのスタイルを持っていたからだ。
そして彼女は、田舎特有の、野暮ったいメンタリティを持ち合わせていなかった。

しかも、彼女の姉妹が付き合っているボーイフレンドは、バイセクシャルだった!
トレーシーは、バイセクシャルのどこが悪いのか、全く意に介していなかった。


ミッシェル ―トレーシーの姉の名前だけど― は、アンジー・ボウイのクローンと言っていいほど、そっくりだった。


▼参考画像「アンジー・ボウイ」アンジーとボウイの2ショットです。






ミッシェルは、化繊のデニムを持っていた。
僕は、彼女には本当に驚かされたと思う。

トレーシーは、ヴィダル・サスーンで行われた学生のためのエキシビションでヘアカットのモデルをして、見たことも無い髪型に、無料で仕上げてもらっていた。
ミッシェルは、美容師の研修生で、トレーシーはその練習台にもなっていた。

トレーシーは僕をヴィダル・サスーンの研修学校へ連れて行った。
そこで僕が見たものは、彼女が自分の髪をピンクに染めているところだった。

僕はひどく嫉妬した。
でも、仮に僕が同じように髪を染めて自宅に帰ったら、絞め殺されてしまうのは目に見えていた。



僕は、トレーシーが僕をゲイではないか?と疑っているのをうすうす勘付いていた。

だから僕に、気になった男性のスタイリストはいないのか?とよく尋ねてきた。
「あいつなんか素敵じゃん?どう思う?」

トレーシーが勧めてくるのはみんな、揃ってガリヒョロで、オカマっぽく、髪をウェッジにカットして、着ているジャンパーの肩あたりには、紐が巻き付いていた。

僕は笑い飛ばした。
で、あえてトレーシーには、僕は美容師より建築家が好みだ、とは言わなかった。



1976年の夏休みの間、僕はほとんどの時間を、トレーシーと一緒にレッド・バス・ローバーで行ける範囲なら、全部のチャリティーショップを回って過ごした。
(訳注:チャリティーショップとは、寄付された品物を慈善事業のために売っている店のこと)


▼参考画像「レッド・バス・ローバー」イギリスの赤いバスです。






バザーで掘り出し物を探し、40年代の服や靴を狩りまくった。
トレーシーのお母さんは、布地屋で働いていて、風変りな生地を自宅に持ち帰っていた。
スエード、ゴム、化繊、工業用のナイロンなんかは蛍光色に染められていた。

僕らは、キングスロードにあるアクメ・アトラクションズやセックス、またはボーフォートに並ぶお店の洋服を買う余裕は無かった。
だから、自分たちで作ったんだ。


▼参考画像「アクメ・アトラクションズ」の広告。モッズ系の服のブランド。





▼参考画像「SEX セックス」は、マルコム・マクラーレンがヴィヴィアン・ウエストウッドと提携して立ち上げたブランド。パンク系。






たくさん手に入れた服の大半は、オックスファムで手に入れたものだ。(訳注:オックスファムは、発展途上地域を支援する、英国の民間団体のこと)

僕たちがチャリティに寄付をする代わりに、彼らが僕たちに施しを与えてくれた。
僕たちは試着をするために更衣室へ入り、自分の服の下に重ねて売り物の服を着たのさ。
(訳考:盗った?)



母さんは、古着のシャツを縫い目に沿ってほどき、バラバラにしていた。
僕は、バラけた断片をそれぞれ違う色に染めると、母さんはまた元通りに縫い直した。

僕らは、ブライアン・フェリーが着ているGIシャツや、軍払い下げ販売店のローレンス・コーナーに売っているスタプレストのズボンを真似て服を作った。
(訳注:「スタプレスト」は、リーバイス社が1964年に製造したシワにならないズボンのこと)

▼参考画像「ブライアン・フェリー」の「GIシャツ」。
ブライアン・フェリーは、イギリスのミュージシャン。






学校が始まって、僕が学校へ着て行ったのは、40年代のマンボズボンと、細いネクタイだった。


▼参考画像「マンボズボン」お若い方へ解説しますが、裾に向けて細くなっているパンツで、ベルボトムの真逆の形状です。『マンボズボン』は日本語で、英語では『drainpipes 排水管(ズボン)』と言います。






「おい、ジジイ。父ちゃんの服着てきたのか?あ?」

仮に僕が、この服はオックスファムで手に入れた、なんて言っても、信じちゃくれないだろう。

「だから?君の親は、服も買えないほど貧乏ってこと?」

「お前、中古屋の靴なんか履いてたら、水虫になるぞ。
うーわ、どこの誰が履いた靴かも知らねーのに」

学校にいるみんなのファッションは、未だパンタロンにフェザーカットの髪型だ。


▼参考画像「パンタロンとフェザーカット」






流行を先駆けていそうなのは、三人の黒人の女の子だけ、そのうち一人はミッシェルで、髪にピンクのメッシュを入れていた。
僕は彼女のファンだった。

僕はファッションの最高峰にいる、とうぬぼれていた。
でも、僕の髪型は全然ダメダメだ。



トレーシーが言うには、ウエストエンドにあるグレンビー・インターナショナル(訳注:ヘアサロンの名前)で、ヘアカットのモデルを探しているとのことだった。
だから、学校が休みの日に、母さんに連れて行ってもらうことになった。
母さんは、僕に「絶対ヘンなことはしない事」と固く約束をさせた。

僕はすでに、父さんと衝突済みだった。
僕は自分の前髪を、フェルトペンの中芯を使ってブルーに染めてみた。

目ざとく父さんは言った。
「おい、そのクソな髪はなんだ?」

「なんでも無いよ。洗ってくる」

「そうしろ、すぐ洗え」



グレンビーで僕は、ウェッジにカットしてもらい、ヘアドレッサー・ジャーナルに載せるため、写真を撮ってもらった。


▼参考画像。ヘアドレッサー・ジャーナルに掲載されたジョージ。
「カメラがクレージー」誌より。





僕は、デヴィッド・ボウイの『ヤング・アメリカン』のジャケ写みたいな髪型にして欲しかった。



▼参考画像「ボウイの『ヤング・アメリカン』」






スタイリストたちは、髪を染められるんならね、と言った。

僕は言った。
「ブラウンがほんのり入っている程度だったら」
加えて、母さんが許してくれないから、と恥ずかしくて消え入りそうな声で付け足した。


サロンの照明は暗く落としてあったから、髪を染め終わっても、そんなに僕には違いが分からなかった。
それで、お日さまの下に出た時、何気なく路駐してあった車のサイドミラーをひょいと覗き込んでみると、それはブラウンと言うよりオレンジ色だった。

僕は、日が沈んで、すっかり暗くなるのを待ってから、家に帰った。

僕が一歩、家の中に入ったとたん、母さんが飛んできて僕を引っ掴み、グイグイと電灯の下へ僕を引っ張ってきて捲し立てた。

「母さんとの約束はどうしたの?!
どう見ても目立つオレンジじゃない。
なんて色なの!
そんなんじゃ、学校に行けないわ。
何で髪を染めさせたの?」


案の定、僕はオレンジ頭のまま学校へ行くと、先生たちは僕を家へ帰した。
ドーソン校長が言うには、僕がいると他の生徒が規則を守らなくなる、とのことだ。
母さんはドーソン校長に、髪が生え変わるのを待つしかない、と言った。
どうあっても、母さんは僕にもう一度染めさせようとはしなかったんだ。


子供たちはバスのてっぺんから僕に向かって叫んだ。
「なんだあのヘンな頭!」
「やーい、クエンティン・クリスプ」

クエンティンは、テレビ映画の「ネイキッド・シヴィル・サーヴァント」が放映されて以来、彼の名前は学校で悪口の代名詞になっていた。


▼参考動画「ネイキッド・シヴィル・サーヴァント」は、クリスプの自伝的小説を元にしたドラマ映画。カップを持って前口上を述べているのがクエンティン・クリスプ。






僕はその番組を、口を開けたまま見入っていた。

テレビの中で、髪を染めた男は、おおっぴらに言う。
「ご覧のとおり、私は女っぽいホモセクシャルです」


僕がテレビにくぎ付けになっていると、父さんと母さんは嫌な顔をした。

この番組が始まって以来の数週間、学校ではこの話題で持ちきりになった。
誰もが彼のことを「気色悪い」と思ったけれど、僕は、クリスプは勇敢でスタイリッシュだと思い、彼に会いたいと思った。



学校の子どもたちは、僕を見かければいつも「変態、オカマ、ホモ」など、悪口を投げつけてきた。

でも、僕は誰が何と言おうと、何も気にしなくなった。
「だから何?自分がそうだから僕に言うんだろ」

僕は、こんな小さくて偏狭な世界の一部になんかなりたくなかった。
この僕の髪型は、電気に打たれたように刺激的だった。

「なんで女の子の髪型にしちゃったの?」



いつものように、僕は学校へ遅れて行った。
そして、いつものようにドーソン校長に捕まる。
「オダウド。遅れた理由は?」

「分かりません、先生」
「金曜日に、君はやるべき作業をすっかり終えたに違いない」

「僕は金曜日、学校に来ていません」

「その通りだ、オダウド。
君はその髪の色のおかげで、学校から逃げ出せるとでも思っているのか、まあ、そのように見えないがね。
いいかね、私の訓戒から学びたまえ」


僕は次第に、やがてはほとんど学校へ寄り付かなくなっていった。
就職相談では、僕はやる気もなく肩をすくめていた。

僕はただ、自由になりたかったんだ。
早く、その日が来ないかと、どんなに待ち焦がれたことか。

僕は学校をさぼって、エルタムのハイ・ストリートや、オックスリーズ・ウッド、あるいはバスに乗ってウエストエンドまで行き、ぶらついていた。

この現状に対して、僕が知っている唯一の打開策は、学校から退学することだ。


僕はランチタイムに、特別支援級(特別な支援を必要とする学級)を飛び出し、地元の店へ行った。

そこでパンを一斤買うと、中身をくりぬき、バターを塗り、そこへフライドポテトを詰め込んだ。


▼参考画像。フライドポテトをパンにはさんだ「チップ・バティ」
「チップ」はフライドポテト、「バティ」はバタ付きパン。イギリス料理。






取って返して学校へ戻ると、僕はドーソン校長の元へと送られた。
いよいよ最後の対決だ。


校長は、叫び、怒鳴り散らした。
「オダウド!ご両親がこの有様を見たら何と言うか、考えたのか!
君は今、ご両親に対して何をしているのか分かってるのか」

校長は、片手に杖を持ち、もう一方の手のひらに杖を当て、部屋の中をゆっくり歩きつつ音を鳴らして回った。


「僕は、ここにいたくありません」
僕は校長に言った。

「こんな場所、大嫌いだ」

「貴様は一生かけても、碌な人間になれないだろうな、オダウド。
なんたる大馬鹿者だ!」


僕が学校を出るとき、背後でドーソン校長の声が廊下に響き渡っているのが聴こえた。

「問題ない、すぐ戻る」






※画像はイメージです/ねこあるき制作


 1976年9月29日

 親愛なる オダウドご夫妻 様
 ジョージを学校から正式に退学させる以外の選択肢が無いことを、ここに通知いたします。





次の日、母さんは学校へ僕を引きずって行った。


僕はドーソン校長のオフィスに座り、うつむいた。
母さんは、素朴な疑問を僕に投げかけた。

「ジョージ、この学校にいたい?」
「いいや」

母さんは、教育当局から訴えられるリスクの中、僕を学校から連れ出した。
母さんは学校に、僕をアイルランドにいる親戚の元に送る、と言った。


そのあと数年間、ドーソン校長と僕との確執は続いた。



校長は、全英教職員協会の会長を務めていて、新聞には、ドーソン校長の、知識と見解が並べ立てられた。

※画像はイメージです/ねこあるき制作



ジョージ・オダウドは『不適合者』の典型例でした。
彼は、適合しようとしなかったし、また彼も望まなかったのです。

私は1970年に学校へ赴任しましたが、そこは非常に厳しい状況下にありました。
それを打開し、正しい管理下に置くには、懲罰が唯一の手段でした。

我々教職員によって管理体系が整った後、ジョージが入学してきたのです。

彼は、正しい振る舞いや、勉学や作業に励むことを不得手としていたのは事実です。
また彼は、教員や学友との円滑な交流を拒みました。

その当時、ジョージが男子、あるいは女子のように装いたいと混乱していたかという形跡は、まったく見受けられませんでした。

しかし、彼が混乱を来たさなかった、ただ一点の事があります。
それは、彼は勉強も、作業もしたくなかった、ということのみです。

ジョージは、慢性的な不登校児でした。
学校へも来ず、我々が彼を学校へ連れてきたとしても、作業に参加すらしませんでした。

彼は素行不良というわけではなく、矯正しがたい少年少女たちに染まることはありませんでした。
しかし結局は、特に矯正の難しい子どもたちを預かる、経験豊富な先生が受け持つ養護学級に入りました。

(訳考:原文は「sanctuary unit 庇護体系」ですが、分かりにくいので先に「Special Needs 特別支援」とありましたから、意味を揃えて「養護学級」と訳しました)

仮に彼がひと言「退出します」と言ったとしたなら、二度と彼の姿を教室で見かけることはないでしょう。




ドーソン校長の見識は、1984年のタイムズ高等教育版(訳注:雑誌)で、校長ともあろうものが、個人である僕の教育について公に話すべきかどうか、白熱した議論を呼んだ。

まあ、次から次と、口の減らないのがドーソン校長の特徴だからね。
ドーソン校長は、僕がいかにして成功するか、なんて理解できっこないだろう。




第八章 ここまで。


個人的に調べてみましたが、ドーソン校長は、のちに政治家になり、評価されております。
ジョージの視点(生徒の視点)から見ると、ろくでもない人物のように見えるのですが、難しいものですね。



おまけ

ところで、ジョージ少年がモデルをつとめた、「ヘアードレッサー・ジャーナル」に、何が書いてあるのか気になったので、別ページで和訳しました。

ここをタップかクリックしてご覧ください。






3 件のコメント:

  1. 前回から数日しかたたないのに、もう更新されて歓喜しています。
    ジョージ、とうとう退学になっちゃったんですね。
    それにしても、校長からのお手紙に見えるエルタムのロゴ!
    良い感じでシワも寄っているし、実際の手紙みたい!
    この手紙、欲しいです(笑)

    ヘアカットモデルでオレンジに染められたとありますが、
    モノクロなのでそれほどわからず、どこが囃し立てられるほどの
    変な頭なの?と思いますが...
    実際はカラー写真だったのでしょうか。

    それにしても、ドーソン校長のその後まで調べ上げたとは、さすがねこあるきさんですね。その後のジョージの成功を、校長はどう思っているのでしょうね。

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    1. 匿名さん。いつも有難うございます、ねこあるきです。
      退学をもって、エルタムグリーン時代はこれで終了ですね。杖で殴ってくるこわい校長相手に、ジョージ少年も負けていないところに強さを感じます。
      しかも個人名まで出して、新聞で子どもの悪口を言うとか、大人げない。そこに大成功と自叙伝でもって応酬するボーイもまた、力強いと思いました。

      校長のお手紙(偽造)は、作っていて我ながら本物っぽくなったと驚きました。実は、パソコンに入っている、無料ソフトの「ペイント」で作ったので、そんなに凝ってないんですよ。
      匿名さんに驚いていただいて、しめしめ、です(笑)

      ウェッジカットのジョージ少年、私もどこが変なのかさっぱり分からないです。むしろ流行りのフェザーカットより、すっきりしてよく似合っていると思います。あれが明るいオレンジ色でも、素敵だと思うんですよ。

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  2. ねこあるきさん、はじめまして。

    そろそろ自分で本を買って、自分で訳さないとダメかなと思っていたのですが・・・、ほぼ諦めていた(!)続きの翻訳、ありがとうございます!
    何度もじっくり読み返して、情景をリアルに思い描いては、ジョージの子供時代を楽しんでいます。
    自分自身の子供時代って、面白くもなくほとんど記憶に残っていませんが、ジョージのエキサイティングな子供時代、心情までもが色鮮やかに蘇ります。

    続きが本当に楽しみです(笑)。
    しかし、自分でも英語、なんとかしないといけないなと実感しています。ジョージのインタビュー動画も日本語の字幕がないとまったく理解できないし、悲しい毎日です。
    ねこあるきさん、英語を上手く身につけるには、何から取りかかったらいいですか?

    追伸:HJのジョージ、本当に美しい!ジョージにメイクなんかいらないよ。

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