TAKE IT LIKE A MAN - 和訳 ボーイ・ジョージの自叙伝 第四章
第四章は、デヴィッド・ボウイに影響を受けた幼少期です。
個人的なことですが、第三章であまりにも直訳過ぎたものだから、ちょっと反省して、第四章では、少し日本語の体裁を整えました。
時間があったら、しっかり見直したいもんです。
CHAPTER 4
第四章
おばあちゃんは、おじいちゃんが亡くなった後に引っ越していた。
僕たちは、そのおばあちゃんと一緒にバーミンガムへ行って過ごしたんだ。
おばあちゃんは、母さんの妹のテレサと一緒に住んでいた。
テレサは、子どもの頃に事故に遭い、体の一部に障害を負ったため、両足に装具を付けないと歩けない身体だった。
僕が最初にテレサを見かけたのは、ジョアン・クレセントの家の台所だった。
母さんは、妹が訪ねてくるから、と言っていた。
僕は学校から大急ぎで帰ってきた。
来客があるときにはいつも、僕たちはわくわくしていたんだ。
僕は、自分が目にしたものを信じられなかった。
テレサの身長は4フィートで(121.92cm)、ものすごく長い髪は、半分ずつ白と黒に染めてあった。
碁盤目模様(チェッカー柄)のドレスを着て、ジョン・レノンがかけているような、眼鏡をかけていた。
おばあちゃんは、テレサの格好を怖がっていた。
おばあちゃんは言う
「じろじろ見ちゃダメだ。ただ褒めるだけにしときな」
僕は恋に落ち、僕と結婚して欲しい、とテレサに手紙を書いた。
テレサは、二階に上がるのを僕たちが手伝おうとすると、松葉づえを振り回して怒鳴りつけた。
「あっち行け。これくらい自分で何とでもなる」
僕は彼女の勇敢な精神を愛した。
お医者さんは、テレサは子供が産めない身体だと話した。
それにも関わらず、彼女には二人、子どもがいた。
トレヴァーとヴァネッサだ。
テレサは1970年に、大学で出会ったバリー・グラッドウィンと結婚した。
みんなは彼女を誇らしく思った。
それで、みんな揃ってバーミンガムへ行ったんだ。
振替休日に行われた結婚式は、喜びにあふれ、そこにいた人は皆、微笑みを浮かべて、まるでクリスマスのようだった。
お式で、僕たちはアイルランドの親せきに会えた。
誰かが「ダニー・ボーイ」やレベル・ソング(訳注:アイルランド独立の歌)を歌った。
みんな拍手をして、一緒に歌ったんだ。
その時の母さんの装いは完全な「グラム」だった。
服装も、靴も、ハンドバッグまで完全にマッチして、すべてにデイジーレースが縁取られていた。
母さんは髪をハチの巣にし、クモまつげにしていた。
(訳注:上記は直訳です。下記画像を参照)
▼参考画像
beeheveハチの巣(髪型)と、spider lashesクモ(蜘蛛)まつげ。
子どもの僕たちは、腹話術師が持っている、木の人形のような格好をした。
白いストレッチシャツ、伸縮性のある、ベルベッドのボウタイとエナメル靴、髪は頭に、テカテカに撫でつけられていた。
シオバンは、おもちゃのような格好をしていた。
フリルのドレスは、リボンとちょう結びで覆われていて、ばかげたキスカールの髪型をしていた。
▼参考画像。子どものキスカール
母さんは、いつもミシン台のところにいて、シオバンのために新しい服を作っていた。
僕の目から見て、シオバンは過保護に育てられていた。
それに対し、母さんが僕に買ってくる服は、見るからに「誰も選びそうにないもの」で大嫌いだった。
僕は、もっと鮮やかな色で、虹色のタンクトップ、赤いベルベットのパンタロン、空色のブルゾンが欲しかったのに、母さんは、そんなものは5分で飽きるでしょ、と言いのけただけだった。
僕は母さんの化粧品を借りて、青と緑のアイシャドウを乗せ、サーモンピンクの口紅を引き、飛び跳ねながらヘアブラシに向かって歌った。
"Metal Guru is it you. Yeh, yeh, yeh.”
「メタルグルーは君かい、イエー、イエー、イエー」
訳注:Tレックスの歌「メタル・グルー」1972年
▼参考:トップオブザポップスより
母さんの化粧は最小限に済ますだけで、本当に化粧道具を使うことが無かった。
誰かが結婚すると決まった時など、万一に備えておいてあるだけだった。
僕はたったの11歳だったけれど、マーク・ボランやデヴィッド・ボウイのような格好がしたくてたまらなかった。
女の子用の靴が欲しくて、特にボウイが日本ツアーで履いていたコルクの厚底のプラットフォーム・シューズに憧れていて、それがデッドフォードのハイ・ストリートにある、アンダーザブリッジのシェリーズ(訳注:ブランドの名前)に売っているのを僕は見つけたんだ。
▼参考画像:シェリーズの靴(ホームページより)
▼シェリーズロンドンのホームページ
https://www.shellyslondon.co.uk/
▼日本ツアーのデヴィッド・ボウイ
ジョージ少年が憧れた、コルクの厚底の靴を履いている?
僕はずっとシェリーズを見張っていた。
母さんが買ってくるものは全部、靴底が半インチ(1.27センチ)しかない、なんとも無残なものばかりだったから。
僕は母さんに、何度も何度もお願いした。
母さんはある日曜日に、ブリック・レーンにある蚤の市に行き、3インチ(訳注:7.62cm)の厚底の靴を手に入れて帰ってきた。
母さんはこんな、とんでもないものは、僕は履かないだろうと思っていた。
僕は早速、履いてみた。
履いたまま学校へ行こうと逃げ出したけれど、僕はまっすぐ家に帰された。
父さんが家を片付けた時、色々なアンティーク・グッズが出てきた。
服、雑貨、古い額縁、写真、ラグ、それとカーテンなど。
またある時、父さんは、サージェント・ペパーのジャケットを4つ持って帰ってきた。
▼参考画像
サージェント・ペパーのジャケット(イメージ)
僕はそのうち1つを着てみたかったのに、父さんは許してくれなかった。
父さんは小屋にしまい込み、鍵をかけてそれっきりだから、きっとそのままダメになったんだと思う。
ジョシーおばさんは母さん宛てに、古着をいくつか送ってくれた。
でも、母さんにとって派手すぎて、肌の露出が多いものだった。
その中から、僕はオールインワンの、銀色のラメ糸で出来たジャンプ・スーツを見つけ、家中のあちこち着て回った。
▼参考画像。銀ラメのジャンプ・スーツ(イメージ)
すると、声が掛かる。
「お前の物じゃないよ、さっさと脱いで」
僕は正面玄関に向かって、じりじりと進んだ。
この格好のまま大通りに出て、伝説のルレックスのような軽やかな足取りで歩いてみたかったんだ。
父さんだって、こんな服は持っていないだろう。
おかしなことに、そのジャンプ・スーツは忽然と消えてしまった。
訳注:「Lurex ルレックス」が不明。
ラメ糸の会社「Lurex」ならレスターにある。
▼Lurexのホームページ
https://www.lurex.com/
長兄のリチャードは、ボウイとボランの熱狂的なファンだった。
彼が外出中に、僕はレコードと服を拝借していた。
時々、リチャードは使い古したプラットフォーム・シューズや、かっこいいフレア袖で、ユニセックスのTシャツを僕に寄越してくれた。
でも彼は、一番いいものは誰にも渡そうとしなかったんだ。
リチャードは、リーグリーンにあるパラファーナリアか、チェルシーガールで服を買い、時としてガールフレンドが持っている林檎と虹のモチーフが付いたスクープネック(大きく開いた丸い襟ぐり)のTシャツを着ていた。
僕がセント・ピーターのユースクラブへ、それらの服を着て行こうとしたら、リチャードはカンカンになって怒った。
「それ、買ったばっかりなんだぞ。脱げよ。
母さん、ジョージがいつも俺のものに手を出すんだ」
リチャードのガールフレンド、サンディは、バブル・ウィッグを付け、ホットパンツを履き、白いフロストカラーのアイシャドウで化粧をし、目の周りには星を貼りつけていた。
参考画像:
▼バブル・ウィッグ(かつら)
サンディが我が家へ来るために、小道を上がってくるのを見かけた母さんは、舌打ちをした。
サンディは騒々しくて厚かましく、誰とでもキスをしていた。
「アロー、ディ、ラヴ。アゥライト、ジェリー」
僕は、彼女はロンドンの南東部すべてで、一番クールな女の子だと思った。
もし、僕がピンクの羊(浮いた存在)なら、リチャードは黒い羊(面汚し)だ。
嘘つきで、女たらしで、コソ泥で、父さんと母さんは、いつも深夜に警察に叩き起こされていた。
「なんてこと、神様。今度は何?」
リチャードと、その窃盗仲間は、エルタム・グリーン・スクールへ不法侵入し、募金箱を盗んだ。
そいつらは体育館に入り込み、フットボール(サッカー)をして、至る所に指紋を残していった。
結局リチャードは、拘留所へ送られた。
リチャードが、何かトラブルを起こした時はいつでも、おばあちゃんは休日に彼をバーミンガムへ連れて行き、服を買い与え、甘やかしていた。
そんな事をされて、残された僕たちは大いに混乱した。
このリチャードは法を犯したんだから、ゴロツキどもと手切れをさせ、罪に対し罰で報いなければならないのに。
リチャードと、その非行少年仲間のダニー・フーリハン、バリー・フォーリー、ピート・ミルバーンは、グラム族(グラムが好きな不良集団)で、サッカーの試合をするために、映画「時計仕掛けのオレンジ」に出てくるドルーグの格好をし、顔をアリス・クーパーのように銀色でペイントしていた。
▼参考画像「時計仕掛けのオレンジ」のドルーグ
▼参考画像アリス・クーパー
ルイシャム区にあるオデオン(訳注:劇場またはコンサート場)では、ポップ音楽のコンサートがしょっちゅう開催されており、リチャードは、そのほとんどに足しげく通っていた。
もし、チケットを買うお金が無かったら、非行仲間の誰かが代わりに買い、中から通用口を開けて招き入れていた。
僕も彼らに付いて行ったら、リチャードは僕に「消えろ」と言った。
中に入れない僕は、楽屋口の周りを友達のウェンディ・フォーリーとカレン・フットと一緒にうろついた。
その場所にいるほとんどは、女の子だった。
僕たちは、酔っぱらったロッド・スチュワートが、ジャック・ダニエルの瓶を振りかざしたまま運びこまれているのを見た。
恋人のベベ・ビュエルは、軽く叩きながら、群がったファンが通行を妨げないよう押しやっていた。
おかげで僕はコンサート会場に、無料で入れた。
舞台裏とは打って変わって、会場でのロッド・スチュワートは、燦然と輝いていた。
▼参考画像 ロッド・スチュワートとベベ・ビュエル
リチャードは、好きなポップスターを転々と乗り換えた。
あるときはボウイ、Tレックス、アリス・クーパーと。
誰かがリチャードに、ロッド・スチュワートに似ていると言ったものだから、自分でロッドと同じ髪型に変えていた。
リチャードは、何かと嗅ぎつける勘を持ち合わせていた。
そして、僕にとって初となるデヴィッド・ボウイのアルバム「世界を売った男」をくれたんだ。
僕は歌詞をすっかり、そらで言えるようになった。
ボウイは、これまでのアーティストとは一線を画していた。
僕は、ラジオから流れるポップ音楽のバンド、スウィートやスレイド、ウィザードが好きだったが、それとは違ったんだ。
He swallowed his pride, And puckered his lips.
He showed me the leather belt, Round his hips.
彼のプライドを飲み込んで、唇をすぼめていた
そして、腰に回した革のベルトを見せた
訳注:デヴィッド・ボウイの曲「The Width of a Circle」
アルバム「世界を売った男」に収録
僕は「ジギー・スターダスト」と「スパイダース・フロム・マース」のコピーを買った。
それは、スウィートの「ウィッグ・ワム・バン」とは大きくかけ離れていた。
A cop knelt and kissed the feet of a priest,
And a queer threw up at the sight of that.
オマワリがひざまづき、司祭の足にキスをした
それを目にした変態が嘔吐した
訳注:デヴィッド・ボウイの曲「5年間」
アルバム「ジギー・スターダスト」に収録。
ジギー・スターダストとスパイダース・フロム・マースが、1973年にルイシャム区に来た時、僕は走ってチケットを買いに行った。
僕たちと一緒にいたおばあちゃんは、ボウイのことを「大女」と言い捨て、僕を行かせるべきではない、母さんに向かって言った。
僕はおばあちゃんと大喧嘩した。
父さんは、今までの腹いせもあって、僕の味方になってくれた。
そして、僕にチケットを買うお金までくれたんだ。
僕はジギー・スターダストと同じ髪型にしようと、自分で頑張ってカットした。
それなのに、なぜか僕はスレイドのデイヴ・ヒルそっくりになってしまった。
▼参考画像:デイヴ・ヒル
リチャードは僕に、彼の持っているインディアン・パッチワークのジャケットを貸してくれた。
僕は荒く織った麻のシャツと、パンタロンと、それを合わせた。
僕は日中のほとんどを、ルイシャムの街をうろついて過ごし、徐々に混み合ってくるのを見ていた。
何百もの人が、ジギーとアンジーをそっくり真似していた。
(訳注:ジギーはデヴィッド・ボウイのこと。アンジーは、ボウイの最初の配偶者)
女の子は、フォックス・ファーのストールとピルボックス帽を、男の子は、グリッターのジャケットをみんな着ていた。
ステージ上のボウイは異彩を放ち、まったくの別格だった。
今まで経験した中で、これほど興奮したことはなかった。
ファンの波は押し合い、へし合いしながら歓声を上げていた。
「デヴィッド、デヴィッド、こっちよ、私よ、私、愛してるわ」
僕も叫んでいた。
みんな歌っていた。
僕は、全部の歌詞を知っていた。
「サフラゲット・シティ」「ジーン・ジニー」「ライフ・オン・マーズ」「5年間」など。
僕は、空っぽになったコーラの缶に向かって歌いながら、歩いて帰った。
こんなに感銘を受けたコンサートは今まで無かったよ。
リチャードは、僕たちをお菓子で釣ったり、10ペンスを握らせて、小間使いにした。
僕たちが周りをバタバタと使い走りをしていると、リチャードは、自分が大人になった気分になっていたようだ。
リチャードは、写真の受け取りに薬局まで僕を行かせた。
その薬局はベックナム区にあって、バスに乗らないと行けなかったんだけど。
(訳注:「薬局」は、日本のドラッグストアのようなもの)
ベックナム区のハードン・ホールには、ボウイが住んでいた。
僕はハードン・ホールへ行き、ファンと一緒に、外に立って過ごしていた。
アンジー・ボウイが窓を開け、僕たちに向かって「失せろ」と言った。
それを見て、僕は本当に幸せだった。
僕はその場にいたファンの中では一番若かった。
そして皆に混ざって、地元のウィンピー・バーに腰を下ろした。
(訳注:ウィンピー・バーとは、ハンバーガーや軽食があるチェーン店のカフェ)
他のファンは、何回ボウイを見たか、という話で盛り上がっていた。
僕はたったの1回だけ、でも、当然僕は嘘をついて、何回も見たかのように振舞った。
おしゃべりにも飽きてきて、ブライアン・イーノの家を探しに行こうという事になった。
イーノは、みんなが大好きなロキシー・ミュージックのメンバーで、一番のお洒落だった。
そうこうしているうちに、段々に日も暮れてきて、僕は心なしか不安になってきた。
僕のハードン・ホールでの一日は、リチャードから横っ面に一発食らうことで終わりを迎える。
僕が帰路に就いたのは夜の9時ごろだった。
リチャードと母さんは、気が狂ったように怒っていた。
きっと彼らには、外の誰かの家で、ぶらつくという楽しさが分からないんだ。
僕はボウイを見ることは出来なかったけれど、それは大して重要な事じゃなかった。
僕は、僕のような人たちがたくさんいることを知り、彼らと会ったんだ。
僕自身が何かの一部のような、一体感を感じていた。
第四章ここまで。
こんにちは。ボーイジョージが大好きな、匿名です。
返信削除(過去ログ遡ると、同名の方がいらしたため。
HM変えたほうが良いか、悩みます)
相変わらずの素晴らしい和訳に、ぐいぐい引き込まれていきます。
私は、30年以上前からファンなのに、自伝の中にはまだまだ、私が知らないジョージがたくさんいるものだと思います。
資料もたくさん付けて頂いて、ありがたく思います。バブルウイッグや、若い頃のロッドスチュワートの写真など、かなりレアで、どうしたら
こんな画像が見つかるのかと、ただただ感心です。
ジョージを知らない人にも、大変分かりやすいと思います。
ジョージ、叔母であるテレサさんにプロポーズ、やりますね。
生まれついてのgayではなく、元々はヘテロだったのでしょうか?
(三親等って婚姻できましたっけ?)
これを読む限り、リチャードさんとジョージはあまり仲良くなかったと見受けられますね。
ジョージのボウイ好きは、リチャードさんに影響されたから、
可愛がって貰ってたのかと思ってて、意外。そのあたりは、読み進めていくと、わかるのでしょうが、
私も前チャプターでコメント書かれていた方のように、自分の英語力で理解するのは無理で、
ねこあるきさんの和訳に頼りたいです。
何年かかってでも、ちょっとずつでも構わないので、
これからも、どうぞ無理のない範囲で、和訳をよろしくお願いします。
匿名様にはいつもお世話になっております、ねこあるきです。
削除返信が遅くなり、ごめんなさい。
やっぱり自伝、400ページを超える自伝だけあって、赤裸々なボーイの姿がここにありますね。関係者が書いた、とかではなく、本人しか分からないことがたくさんで、読み応え満点です(ホクホク)。
ジョージ少年は早熟で多感だったのでしょうね。好きになったものが好き!、反面、イヤなものは大っ嫌い。リチャードは手癖の悪い兄貴かもしれませんが、美的センス(服装)や、聴く音楽が、ボーイにとって魅力的だったのでしょうね。兄弟の部屋も狭かったようですし、持ち物は目につくところにあったんだと思います。
お菓子や小銭で使いっ走りさせたり、リチャードも兄貴風を吹かせたいところもあって、仲良しとはいかないまでも、険悪な仲でもなさそうです。
ボーイの自叙伝は、やっぱりボーイが書いているだけあって、独特の言い回しや、突拍子もない表現がたくさんあって、英語の文法と言うより、何の脈絡もない単語が出てきたりするので、何を意味するのか分かるまで、すっかり振り回されています。
匿名さんに『何年かかっても』とおっしゃっていただいて非常にありがたいです(涙)。月1をペースに考えていますが、章によっては10~20ページあったりするので、その際は、やや遅れることが予想されます。
和訳自体は時間が掛からないのですが、日本語に直す言い回しが、一番時間がかかります。日本語ムズカシイネ。
次なる問題は書き起こしですね(笑)また在庫が尽きたら、機械に強い誰かに頼もうと思います。いつも有難うございます。
待ってました‼️またじっくり読み込みたいと思います!
返信削除お待たせいたしました!
削除さらに、返信までお待たせいたしました(すみません)
10章を過ぎれば、少しは気が楽になるだろうと思いつつ、書き進めています。
ちなみに第5章はお父さんについて、第6章は学校です。
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
こんばんは。
返信削除第三章 読ませて頂きました。
私はジョージより年長なので(ばれましたね) グラムに填まりましたし、ボウイやT.Rexの初来日のライブ(あの頃はコンサートかも)行っています。
グラムが実際に流行ったのは2,3年の短い期間でした。
ボウイはご存知の通り 余りに変わり続けずっと 現役を続けていましたが(一時は健康上の理由で駄目な時期もありました)T.Rexはマークボランの事故死で終わって仕舞いました。
あのRoxyMusicも初めはグラム擬きの色物扱いで、イーノも七色の羽を背負ってジャンプスーツでした。
本当に懐かしいお話しで、自分のあの頃を思い出します。
家人は 平気でライブに行かせてくれましたが、あのような格好はしなかったからかも知れませんが、今言うに あんまりグラムを知らなかったそうです。
何処でも反対されるんですね。
色々なお写真、動画 有難うございます。
あぁこうだったかと 洋書屋さんで見るNMEに載っていた写真を思い出しております。
和訳して頂き有難うございます。
ご無理はなさらないで欲しいと思っておりますが、自戒を楽しみにしております。
砕けた書き方をして仕舞い申し訳ありませんでした。
どうか お許し下さい。
では この辺で。お元気で。 お休みなさい。
Eddyさん、こんばんはというより、おはようございます。
削除いつもご覧になっていただいて、有難く存じます。
フランクなコメントを寄せていただいた方が、親近感があって良いですね!
ねこあるきはなるべく調子に乗らないように頑張って返信しています。
Eddyさんは本当に羨ましい音楽の遍歴をお持ちで、いっそ沢田研二さんのように、和製グラムの格好でコンサートに行っていただきたかったです(笑)
山本寛斎氏のボウイの衣装デザインは、今見ても圧倒されます。当時のコンサートで、リアルで目にしていたら人生が変わったかもしれないくらいです。多感なジョージ少年もボウイにすっかり感化されるのも頷けるくらい。
クイーンのメンバーはロジャー・テイラーがボウイのファンですが、イギリスはすごい人材が集まっていたものです。
そして当時からT-Rexやロキシーミュージックも来日していたんですね。貴重なお話を有難うございます。グラムには興味なかったもので、今さらながら、当時のことをもっと深く、前のめり気味でおたずねしたいところです。
前回、コメント欄にて完全に和訳を終えるには三年以上かかる、と申しましたが、是非ぜひ、コメント欄にて三年の間は色々と教えていただけると嬉しいです(!)
そう考えると、三年は短い気も致します。現状は全然終わりが見えないのに、ちょっと寂しくなりました。
今後とも、お付き合い下さると幸いです。
自戒ではなく 次回です。済みません
返信削除第四章でした。本当に申し訳ありませんでした
返信削除お疲れ様でした&今回もありがとうございました!楽しみにしていたので何度も繰り返し読ませて頂きました。
返信削除参考画像まで添付されてる芸の細かさで、当時の背景が鮮明に分かり有難い限りです!また次章がアップされるまで最初から読み直して楽しみに待ってます!
お忙しいのに前章に残したコメントにもお返事頂き、とても嬉しかったです!
数年前に放送されたドキュメンタリーも最近見たのですが、ねこあるき様が近所にいたらなぁと切実に思いました。笑
ジョージも早口だけど、ジョンの英語が聞き取り難い!!!この動画、ねこあるき様はもうご覧になってるでしょうか?
ヒアリングが難しいながらも何となく感じたのは、ジョンが冷たい人という事でしょうか。ジョージがヘロインに溺れてた時は本当に最悪だったhorrible, horrible, horrible! と3回も吐き捨てるように言ってたのを聞いて、原因はあんただろ!と思わずツッコンでしまいました。
もう少し聞き取れたらいいのに。。。と自分の英語力不足を嘆くとともに、ねこあるき様のような方々を尊敬する今日この頃です。
では気候の変動が激しい折、どうぞご自愛くださいませ。
またお邪魔させていただきます。
度々すみません。
返信削除ねこあるき様はこちらのライブ動画ご存知ですか?3枚目のアルバムを出した後のライブのようですが、ジョージが涙流しながら歌ってるんです。
コメント欄で、ジョンとの別れが決定的になった頃ではないかと言う人がいました。一生懸命笑顔を作ったり踊ってはいますが、表情がとても寂し気なライブです。
Timeの途中声が詰まったり、Mistake No.3も涙流してます。途中ジョンを見てるんですが、何とも言えない表情でジョンもジョージを見返します。
ラストWar songの歌い終わりも静かに涙こぼしているんです。
辛い状況を隠しながら何とか堪えてか歌い上げる姿にこちらも涙でした。お時間あったら是非見てみてください。
もし既知情報でしたらすみません。
https://youtu.be/XMI__deMBns